
デビュー作でバズった神童「大田南畝」
「バズる」。SNSやインターネット上で情報やコンテンツが爆発的に広がることをいう。そんな言葉が生まれる前から、ある発信をきっかけに、すさまじいスピードで多くの人々に注目されるという現象はあった。
江戸時代中期に活躍し、大河ドラマ「べらぼう」で注目されている戯作者・大田南畝(おおた・なんぽ)もまた、ひとつの作品で名を馳せることになる。その作品の名は『寝惚先生文集』(ねぼけせんせいぶんしゅう)。デビュー作である。
大田南畝は寛延2(1749)年、江戸牛込中仲御徒町の幕府御家人の家に生まれた。幼少期から頭脳明晰で、両親としても大いに期待したらしい。8歳のときに、のちに医師となる多賀谷常安のもとで漢文を学ぶ。
そのポテンシャルにおののいた多賀谷は、南畝が15歳のときに自身の師である内山賀邸(うちやま・がてい)を紹介。賀邸のもとで南畝は主に国学について学び、めきめきとその頭角を現すことになる。
17歳のときに、父と同じく「御徒」という城内の番所に詰めて警備にあたる仕事に就いたが、出勤は月に数回のみ。金は稼げないが、時間はあるため、南畝はさらに学びを深めていく。18歳の頃には荻生徂徠派の漢学者・松崎観海にも師事した。
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