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沖縄戦の歴史認識論争が続く裏で着実に進む現代版「疎開」など有事への備え、今こそ重み増す「命どぅ宝」の真の意味

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自衛隊の南西諸島シフトによって、2016年から、与那国、八重山、宮古、奄美で自衛隊駐屯地が拡大された。宮古と八重山では迎撃ミサイルも配備された。2022年の安保三文書改定によって可能になった反撃能力(敵基地攻撃能力)としてのミサイル配備も懸念されている。

人が逃げる島に住み続けるしかない人々も

5月末、与那国町の委託を受けて町診療所を運営していた団体が契約終了を決めたことが報じられた(琉球新報5月29日)。「人材難と台湾有事」を懸念してのことだという。

同町は人口1700人の過疎の島。自衛隊を受け入れたのは人口増対策の側面もあった。しかし、昨年唯一の特養ホームは閉鎖。自衛隊は過疎の解決にはならず、むしろ有事の備えによって島の生活に緊張をもたらしている。

この出来事は2001年に起きたアメリカ同時多発テロを契機とした沖縄への観光ダメージを思い起こさせる。沖縄が抱える広大な米軍基地が攻撃の対象になると懸念され、修学旅行を中心に約25万人の予約がキャンセルされた。

沖縄県は「だいじょーぶさ~沖縄」というキャンペーンに取り組んだ。米軍基地問題の解決を訴えるのではなく安易に安全をPRしたことは県内から批判も上がった。一方で、沖縄の人々が米軍基地と隣り合わせに生きざるを得ない現実を表していた。

沖縄の人々は戦争が来ないことを願いつつ、社会に深く根を下ろす基地問題に絡みとられながら生きざるを得ない。旅行や短期間の滞在では実感することができない歴史の積み重ねを人々は生きている。

こうした視点に立てば、「台湾有事」が喧伝されて軍事化が進む島々に、ホテル建設が集中するという矛盾に満ちた現象も理解できる。危機が起きたら、同時多発テロの時のように沖縄から遠ざかればよいのだ。そこに残るのは張り付くように生活し続けざるを得ない人々である。

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