80代の老人が1人で作った「民主主義を本当に守る新聞」の軌跡、ローカル局制作映画が映す日本のメディアと民主主義のヤバすぎる本質的問題
町の復興を議論する場ができ、それまでカメラの前に登場しなかった若い町民たちが出てきて活発に意見を言う。町長もそこに参加して、一緒になって議論する。なあなあではなくなり、町民たちみんなが政治に参加するようになった。

滝井さんが地道に書き続けた「紡ぐ」をテレビがフォーカスしたことで、人々の見る目が変わり、自分たちの町づくりに自分たちで関与し始めたのだ。手作りのメディアとローカル局が相乗効果を巻き起こし、人々の気持ちを変えた。民主主義が再生し、育とうとしている。
個人メディアとローカル局が小さな町を大きく変えた。民主主義は個人の力で守り続けることができ、斜陽と言われるローカル局がその価値を増幅して人々に指し示すことができた。民主主義とメディアの相互作用が過疎の町で湧き起こったのだ。
“なあなあ体質”は穴水町だけの問題ではない
これは過疎の町、穴水町の物語だが、なあなあの穴水町の相似形は日本中にたくさんあるのではないだろうか。
私はどうしても、このところウォッチしてきたフジテレビを重ねてしまう。旧経営陣はまさになあなあで経営してきた結果、売上高がみるみる下がっていった。その対処もなあなあで済ますうち、ハラスメントが蔓延する会社になり、ついにその体制は破綻した。
新たなリーダー、清水賢治社長による新体制が組まれつつある。一方で、夕方の情報番組「イット!」で自主的に「フジテレビの反省」がシリーズ化され放送された。上層部から命令されることなく、現場が自主的に企画した、自分たちで自分たちを省みるコーナーだ。
さらに、バラエティ番組「新しいカギ」の企画「学校かくれんぼ」がドイツの国際映像祭で銀賞を受賞した。芸人たちが学校を訪れて生徒たちと一緒にかくれんぼをするこの企画は、バラエティの民主化だ。選ばれた学校の子どもたちのうれしくて仕方ない様子は、見ている側もうれしくさせる。
穴水町で町民たちが起こしたのと似た、民主的な動きがフジテレビで起こっているといえるのではないか。
それだけではない、穴水町の姿は私が住む町と私自身にも重なるところがある。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら