「“消されるかもしれない”とも思いました」 飲酒強要やセクハラなど「舞妓の闇を投稿→大炎上」した25歳彼女の壮絶半生

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舞妓の奉公期間を過ぎれば、芸妓にステップアップする。そこからは仕事を自分で選べるようになるし、一人暮らしもできるようになる。

しかし芸妓になるには自分で新しい着物を作らなければならないし、1つ100万円以上するかつらを2つ買わなければならない。

つまり金がかかる。そのために借金をする人も少なくない。

「つまり、一度入ったら抜け出せないシステムなんです。辞めようとすると“違約金”の話を出されます。ちゃんとした契約書を交わしていなくても、下手したら数千万円請求されます。

精神的に追い詰められて病んでいく子も多かったですよ。最初は夢いっぱいで入ってきて明るかった子がどんどん無口になって鬱っぽくなっていく。自殺未遂をする子もいました」  

“辞めさせられる”ように仕向けた

桐貴さんは結果的に1年弱で舞妓を辞めている。辞められないシステムの中、どうやって辞められたのだろうか? 

「私は、“辞めさせられる”ように仕向けました。反抗的な態度を取って、“こんな子は置いておけない”って思われるようにしました」

そんなことをしたらただでは済まない。怒鳴られ、物を投げられ、

「芸の世界に向いていない! 根性がない!」

と怒鳴られた。 

「最後に、お母さん(置屋の女将)に向かって怒鳴ってしまって。それは絶対にNGな行為なので、辞めさせられました。つまりやっと辞めることができました」

元芸妓の姉さんが東京の銀座でクラブのママをしていた。

「うちで働かない?」

と誘われて、東京に行った。

「舞妓は辞めたけれど、まだ習性が残っていて。声をかけてもらってもちろん嬉しい気持ちもあったんですけど、姉さんの言うことは断れなかったんですよ。

小学生のときに被害にあった思い出もあるから、東京に来るのは怖かったですね。加害者はもう出所しているから

『見つかったらどうしよう……』 

って不安でした。でも銀座で働くのは良かったですね。舞妓と違って、対等に接してもらえる。ホステスは自分の意見も言えるし、飲まなくてもいい。自由でした」

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