以前、テレビ番組でカンニングの竹山隆範さんと共演したときに、隣に立っている竹山さんがあまりに良い声でポンポンポンと話すのを聞いていて、これは何という肉体的な快楽かと感じました。耳から入る快楽が強すぎて、内容はなんでも受け止めるという状態になるのです。
横澤夏子さんもそうでした。芸人さんですから面白いことを言っているのだけど、ローレライのように美しく響いていて、おそらくその効果で私たちは楽しい気持ちになるのです。天使というか魔物というか。
AIの流暢な言葉に騙されないために
同じように、生成AIが出す書き言葉は、あの流暢な文体が魔物だとも思います。文体というものも、我々に快楽を与え、流れだけで読み進めてしまうところがあるのです。
例えば私は、小林秀雄の文体がとても好きです。ときどき「論理が飛んでいる」と非難される小林ですが、そんなことはどうでもいい。小林の語りは、書いてある内容まで正しく見えてきます。文体の快楽は論理よりはるかに強烈です。
新井氏は、『シン読解力』のなかで、「あらゆる生成AIは、使い手の真の能力を超えることはできません。呼吸するようにウソをつきますし、著作権侵害も起こします」と書いています。
このヒリッとさせられる厳しさは、新井紀子さんの文体だなあと感じます。ちょっと気持ちよく読んでいたところを、ピシャッと軽快に引っぱたいてくるような。そのリズムが小気味よい。素晴らしいですよね。
AI相手に文章を書くときは、不十分な文章でも、奴らは意図まで汲んで正しく理解してくれます。しかし、AIが出力してきた文章を読むときには、自分に読解力が必要だと思いますね。
(構成:泉美木蘭)
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