職場環境が悪かったこともあり、Kさんは翌年に転職。ほぼ在宅勤務のコロナ期間で通院もしやすかった以前と異なり、新しい職場は「部署の歴史が浅いせいか、不妊治療で抜けられる文化がない」こともあって、治療を再開するめどが立たない。
Kさん自身、迷いが生じていて「取材の話をいただく1週間前に、これからの人生設計をノートに書いていた」と話す。今の職場は外資系で、昇進し英語を使う必要性が高くなった。「時間を割いて本気で英語を学ばなきゃいけない、と思ったときに、自分はそもそもこの会社で何をやりたいんだっけ、と考え人生設計に行き当たった」。
特にキャリア志向ではなかったKさんは「今初めて想像しますが、妊娠したら会社に『こういう働き方なら続けられます』と説明しようと思います」と話しつつ、書いたノートを開く。「子どもありのほう、『不妊治療、体外受精、仕事の調整』しか書いていないですね。タスクみたいになっている」とつぶやく。
夫と「一生添い遂げる」自信が持てないことも、不安要素だ。「価値観の違いでケンカになることがありますが、子どもが生まれた後はこんなケンカをしても逃げ出せない、と考えてしまうことも、ブレーキになっている気がします」と話す。
「なまじ医療に頼れる時代になったからこそ、こんなに迷っている」。出口はどこにあるのだろうか。
48歳"奇跡の妊娠"を果たすが流産
現在55歳の会社員のAさんは、2歳上の会社員の夫と25年連れ添うおしどり夫婦で知られる。しかし、48歳まで13年の長きにわたる不妊治療の日々を過ごした。「総額でポルシェが買える」ほど治療代がかかったという。
「結婚適齢期」という言葉が使われた最後期に20代だったAさんは、短大卒。「周りは25歳までに結婚して、30歳までにお母さんになる。今、友達には孫もいます。母が21歳ぐらいで私を産み、妹も20歳で子どもを産んでいるので、子どもがいるのは当然と思っているんです」と話す。
30歳で「遅め」の結婚をし、夫婦とも子育てする気でいたが妊娠しない。35歳で不妊治療の有名病院に行ったが、「年齢も遅いし卵子の数値もよくないから、体外受精をやりましょう」といきなり言われて気持ちがついていかず、知人の婦人科医に治療してもらうことにした。
2年間でタイミング法→人工授精→体外受精まで進んだが、片道2時間近くかかることもあり、職場近くの病院に転院。その際、子宮筋腫の手術が必要になった。
Aさんは20代から子宮筋腫を患っていたが、自覚症状は特になく、日帰り手術を2回していた。37歳だったそのときは肥満に見えるほどお腹が膨れ、手術でソフトボール大のものを含む約10個の筋腫を取り出した。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら