以来、宇都宮さんの趣味に対する情熱は右肩上がりだ。中学生、高校生になると、数十kmの山道を自転車で走破したり、水中メガネとシュノーケルで海に潜ったりして化石を探すようになった。
しかし、これまで「化石を仕事にしたい」と思ったことは一度もないという。
「化石で食べていける気がしませんでしたし、化石と同じくらい人文系の学問にも興味がありました。化石は趣味として極めたら面白いだろうなと思ったんです」

そう思うのには理由があった。立命館大学産業社会学部に進学した宇都宮さんは、毎週のように益富地学会館(京都市上京区)へ化石や鉱物の勉強に通うようになっていた。
創設者の益富壽之助博士は、薬学が専門で薬局経営が本業のアマチュア鉱物学者。会館に集う化石や鉱物の愛好家も、本業を持っている人が多かった。本業をしながら趣味の分野を極めるのは、宇都宮さんにとってごく自然なことだったのだ。
「普通のオジサンが世界的権威はかっこいい」
大学で、上方芸能評論家・木津川計氏のゼミに入った影響も大きい。木津川氏は1968年に雑誌『上方芸能』を創刊した人物で、立命館大学で教鞭を執りながら雑誌の刊行を続けていた。
「そういうの(化石)は趣味で極めたほうがおもろいで。その辺にいてる普通のオッサンがじつは世界的権威だった、というほうがかっこええやろ? "裏稼業"をやるのもええで」と言われたことを、宇都宮さんは今も鮮明に覚えている。
「仕事には締め切りがあり、成果を出すのが当たり前です。趣味はプライベートでやって、そちらでも成果を出せたら人生が2倍面白くなる、と思いました」
大学卒業後、松下電工に入社してからも宇都宮さんの採集熱は衰えなかった。日本全国への出張の機会や転勤を活用して、その土地の化石の産地をたびたび訪れた。
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