「給料の額=人の価値」という考えが招いた大問題 「トランプ無双」を後押しするエリートへの憎悪

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だが、これは間違った区別だ。経済とは、所得や富、財へのアクセスを配分する方法というだけではなく、社会的役割や尊厳、尊重を形成する方法でもある。だからこそ、私たちは不平等のこれらの側面を一緒に捉え、経済的、政治的、そして文化的なそれぞれの側面において不平等に取り組む必要があるのだ。

――では例えば、介護士や配管工といった人々の賃金が著しく高くなったとしたら、尊厳における不平等は改善される、ということでしょうか。

その重要な第一歩にはなるだろう。

というのも、彼らは私たちと「同じ」だからだ。私たちはしばしば、人々が稼いだお金こそが共通善への貢献の尺度だと思い込んでおり、より多くのお金を稼ぐ人々を尊敬し、稼ぎが少ない人には敬意を払わない傾向がある。これは間違いであり、私たちが挑戦すべき前提だと思う。

ヘッジファンド・マネジャー>看護師か?

もし本当に人々が稼いだお金が経済への貢献の真の尺度だとしたら、ヘッジファンド・マネジャーの貢献の価値は、看護師や教師の貢献の価値よりも5000倍も大きいと結論づけなければならない。

平等について、いま話したいこと
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だが、本当にそうだろうか? つまり何が経済への価値ある貢献であるかは、労働市場だけでは決定できないし、決められないということだ。

幼い子どもや高齢者の世話をする人たち、看護師、看護助手、教師など、ケアワーカーの貢献をどう評価するかについて私たちは議論する必要がある。市場はこれらの貢献を過小評価する傾向がある。

だから、彼らの賃金をどのように引き上げるかを議論する際、私たちは同時に、彼らの貢献の重要性と、その貢献を尊重し、評価することの本当の意味についても議論しなければならないのだ。

撮影:AMP 編集:田中険人
倉沢 美左 東洋経済 記者

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くらさわ みさ / Misa Kurasawa

米ニューヨーク大学ジャーナリズム学部/経済学部卒。東洋経済新報社ニューヨーク支局を経て、日本経済新聞社米州総局(ニューヨーク)の記者としてハイテク企業を中心に取材。米国に11年滞在後、2006年に東洋経済新報社入社。放送、電力業界などを担当する傍ら、米国のハイテク企業や経営者の取材も趣味的に続けている。2015年4月から東洋経済オンライン編集部に所属、2018年10月から副編集長。 中南米(とりわけブラジル)が好きで、「南米特集」を夢見ているが自分が現役中は難しい気がしている。歌も好き。

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