3回の「初代大統領」を務めたモンゴル人政治家 モンゴルの移行期を背負ったオチルバト大統領の軌跡
ダルハンと同じモンゴル北部のもう1つの工業中心であるエルデネトの都市開発は、銅鉱資源に基づいている。その資源開発は1973年、モンゴルとソ連の共同「エルデネト」銅モリブデン採鉱・選鉱コンビナート設立に関する政府間協定の調印に始まる。彼の次官(副大臣)時代のことである。
彼自身の語りによって、当該部門への関与を確めておこう。加えて補足するなら、当時は中ソ対立が激化していたため、モンゴルにとってはソ連との結びつきがさらに強まっていた時代であった。
最高指導者からの大臣指名
「私が帰国したころ、わが国には専門家がほとんどいませんでした。そのころ、シャリン・ゴル炭鉱が操業を始めていました。そこでは主にソビエトの専門家たちが働いていました。モンゴル人技師が必要でした。1967年1月からこの炭鉱の技師長に任命されました」
「1960~70年代にモンゴル国の鉱山部門の集中的な発展期が始まりました。ナライハ炭鉱が改良され、シャリン・ゴル、アドーン・チョロー露天掘り炭鉱が操業を始めていました。ほとんどすべての県で炭鉱が開発されました。私はシャリン・ゴル炭鉱で6年ほど働き、1972年に燃料・エネルギー生産・地質省の副大臣に任命されました。産業省から分かれて燃料・エネルギー生産・地質の独立した省が設置されたのです」
「モンゴル人民革命党書記長Y.ツェデンバル氏が自ら議長を務めます。私を副大臣に任命する会議も彼自身が議長を務めました。Y.ツェデンバル氏は私を会議に出席している政治局局員に紹介したあと、『さあ、自分の経歴をロシア語で述べよ!』と言いました。それで私は立って、今君に話しているように自分の経歴を述べました。ロシア語でね」
「Y.ツェデンバル氏は新たな省を設置する必要性が生じた件について、…『P.オチルバト、君を燃料・エネルギー省大臣に任命することについて我々は討議している。この問題に対する君自身の意見を聞こうと思う!』と言うのです。
私はこのような問題が討議されることをあまり知らずに来たので、かなりうろたえました。そして『エネルギー省の設置は正しいと思います。さらに新しい省の大臣に私を任命する問題が討議されております。私にはこのたいへん重要な、責任ある部門の省の大臣は務まらないと思います。私はエネルギーが専門ではありません。エネルギーのことは知りません。私は鉱山が専門の人間なのですよ!』と言いました。ところがY.ツェデンバル氏は『君がこの分野の仕事を知らないと言っているのはたいへんいいことだ。君は若い。知らないことは今すぐ勉強して、この仕事をするんだ。君がこういう姿勢だということは私が政治局に伝えよう。もうすぐ政治局の会議が始まる。君たちちょっと待ってくれないか』と言いました。
それから20~30分して政治局の会議が始まりました。Y.ツェデンバル氏は『同志P.オチルバトを燃料・エネルギー省の大臣に任命することを提議する!質問のあるものは?』と言いました。集まった政治局の局員たちの中に私に質問する人はいませんでした。全員挙手して承認されてしまいました」
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