「通信簿は1が優秀」と母に嘘、壮絶ないじめにヤミ米屋修行…ニトリHD会長似鳥氏が「ニタリくん」と呼ばれた理由

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発達障害の私だからこそ、成功できた
ニトリHDの似鳥昭雄会長が、自分の名前を漢字で書けるようになったのは小学6年生の時。母親からは怒られ、同級生からはいじめられ、地獄のような日々を過ごしていました(写真:Graphs/PIXTA)
小6まで自分の名前を漢字で書けず、通信簿は「1」と「2」ばかり……。日本を代表する経営者、ニトリHDの似鳥昭雄会長が74歳にして受けた診断は「発達障害(ADHD)」でした。自分を「劣等生」と責め続けてきた似鳥氏は、その後日本を代表する巨大流通グループのトップへと登り詰めます。しかしその少年時代は、過酷ないじめやヤミ米屋修業に苦しむ「地獄」の日々でした。
※本稿は『発達障害の私だからこそ、成功できた』から一部抜粋しています。

何でもかんでも忘れ物。名前が書けなかった小学生

日本経済新聞に連載した「私の履歴書」にも書きましたが、私が小学4年生まで通っていた幌北小学校で担任をしてくださった先生のご家族から、こんな趣旨の手紙をもらったことがあります。

「私はニトリ社長の小学校時代の担任をしていた女性の孫です。祖母がよくこんな話をしていました。似鳥君はクラスで1人だけ漢字で名前を書けない子で、教えても教えても覚えられず、結局ひらがなで書いていました。あの似鳥さんが北海道で成功している。何でなんだろう。そのいきさつが聞きたいとよく話していました」

私はこの手紙を受け取るまで、小学生の自分が「似鳥昭雄」と漢字で書けなかったことをすっかり忘れていました。でも、たしかに勉強はからっきしだった。その頃の私は飲み込みが悪く、すさまじい劣等生でしたから。ちなみに、自分の名前が漢字で書けるようになったのは小学6年生の時です。

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