「両親は私が小学生のときにお絵描き・英会話・ピアノ・水泳・剣道など、さまざまな習い事をさせてくれました。そのおかげで小学生のころには、多くの経験ができました」
小学校時代の成績は5段階評価で全科目3程度。勉強はほどほどに友達と毎日ゲームをしたりして過ごしていました。やや人見知りなごく普通の小学生だったと当時を振り返るMJさんは、小学校時代のある出来事がきっかけで医者を目指し始めます。
「小学2年生のときに卵を食べたら、食中毒になってしまったんです。2週間くらい入院していたのですが、そのときの担当医がとても優しい方で、私の中で記憶に残りました。また、将来は医者になりたいと考える同級生が多かったこともあり、漠然と医者に憧れを抱くようになりました」
小学校の卒業文集では、「医者になりたい」とはっきり書いたというMJさん。しかし中学に上がってからはソフトテニス部に入って部活動に力を入れていたこともあり、成績は120人中90番前後をうろうろしていて、あまりよくはありませんでした。
「学年全体の120人のうち、上位60人は、一般受験で静岡有数の進学校である浜松北高校に合格していました。私も浜松北高にずっと行きたいと思っていたので、60番以内に入ることを目標に勉強しました。
しかし、中学3年生の夏までは部活メインだったので、通っていた塾の宿題だけをこなしている状況でした。部活を引退してからは、学校が終わってからも3時間は自主的に勉強していたのですが、中学3年生の冬までに思うように学力が上がらなかったこともあり、浜松北高校を諦め、磐田南高校を受験して進学しました」
医者になりたい夢はすっかり忘れる
磐田南高等学校に入ったMJさんは、バドミントン部に入ります。部活でできた友達と、一緒に遊んで楽しい高校生活を送っていましたが、成績はどんどん下がっていき、下のほうで安定していました。
「高校生活は楽しかったですね。ただ、部活ばかりしていたせいで勉強が後回しになりました。高校2年生に上がる際に文系・理系の選択があったのですが、高校1年生の1学期の化学の定期テストで赤点を取ったこともあり、理系ではなく文系を選択することにしました。このころには、医者になりたいという夢はすっかり忘れていました」
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