東大生が自然とやってる「要するに」という考え方 抽象度が高い子は、俯瞰的に物事が見える

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次に国語に当てはめてみるとこうなります。例えば国語の説明文。1つの段落で言いたいことは1つしかありません。抽象度の低い子は、書かれている文章の用語が違っているし、構造が違っているから、すべて違っていることが書いてあると錯覚をしています。だから字ズラを追い、設問では答え探しが始まります。しかし、抽象度の高い子は、表面的な形は違っていても、「言っていることは同じ」ことが“見えて”います。

抽象度が高い子は、俯瞰的に物事が見える

どのように子どもが見ているのか、感じているのかは、周囲から見てもわかりません。ただ問題を解いている様子、文章を読んでいる様子としてしか見えないからです。しかし、実態は、まったく異なります。抽象度が高い子は、俯瞰的に物事が見えるので、ポイントを即つかんでしまいますが、そうでない子は、大変です。何しろ、すべての問題や文章が違って見えているのですから、いくら勉強しても無限にある問題としてしか認識できず、そうなると勉強のやる気など出るはずがありません。

筆者は、東京大学の修士課程、博士課程に通学していたときに多くの東大生と話をしました。そのとき感じたこと。その1つが、彼らの「抽象度の高さ」です。1を聞いて10を知るというのがまさにそうで、彼らは具体的な話を聞くと、それを抽象化させて、理解し、一般化させていくという特徴を持っています。

東大生は、センター試験(現共通テスト)でも全教科で高得点をとり、さらに2次試験でも難解な問題を多教科、多分野にわたって点数を取っていくという離れ業をやってきた人たちです。もちろん受験勉強は相当したでしょうが、科目数が多く、しかもハイレベルな問題が解けるのは、数限りない問題を解いていったのではなく、いくつかの具体的問題から抽象化させて、ルール化する、パターン化するということが自然とできていたということが背景にあります。

社会人であれば、部署が変わっても、なぜ同じように高いパフォーマンスが発揮できるのかという理由もここから説明できます。

つまり、はじめの部署で高いパフォーマンスを出している人は、その「具体的仕事」から抽象度を挙げて、一般化、ルール化しているのです。そして、新しい部署に着任したら、その新しい具体的な仕事に適用しているだけの話なのです。

抽象度の低い人は、一般化、ルール化できないため、すべてが具体的仕事と考えてしまい、一からやり直しという発想しか持ち合わせていません。これは、まさにすべての数学の問題をマスターしないと受験では高得点は取れないと考えている受験生と同じで苦労するパターンなのです。

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