ダウン症児を虐待、私の愚行から考える偏見の真因 不寛容な日本社会の根底にあるのは「無知」

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学校の隣には、養護学校、いまでいう特別支援学校があった。スクールバスがなかったのか、多くの親御さんが子どもの送迎をしていたが、登下校時に、1人だけ、ダウン症の生徒がバスに乗車することがあった。

毎日ではない。月に1度、あるかないかだったが、たまに見かける彼には、自然と「べろべろ」というあだ名がつけられた。彼がバスに乗車すると、子どもたちは悲鳴をあげ、競いあうようにその子の席から逃げていた。

彼は運転手さんの後ろの席を好んだ。車内の混雑にもかかわらず、その子のまわりにはいつも人がいない。でも、彼はそれを気にするふうでもなく、手すりをしっかりとつかみ、運転手さんの様子、窓の外の景色を夢中になって見ていた。

そういえば、一度だけ、席のことで、彼がひどく声を荒らげたことがあった。理由は意地悪な子が冷やかしで席に割り込んだからだった。

それ以来、私たちは、彼をますます怖がるようになった。「あの子は変だ」「すぐに暴れる」……散々、彼を傷つけてきた私たちは、たった一度の彼の「反論」を理由に、彼のすべてを否定するようになった。

私たちの行為は「社会的な虐待」

あれから40年以上の月日が流れた。

私たちの行為は「社会的な虐待」だった。邪気のない「言葉の暴力」をバス中でまき散らしていた。私の人生のなかで、もっとも恥ずべき行為の1つだった。

大人になった私は、障がいのある人を見るたびに彼のことを思いだし、胸が締めつけられるような気持ちになる。

彼は1人でバスに乗っていた。きっと事情があったのだろう。本人も、親御さんも、どれほど勇気が必要だったことか。私や連れあいが親御さんの立場だったら、とてもそんな勇気は持てそうにない。

先頭の席が好きだった彼は、誰かがそこに座っていると、とても悲しそうな目で席を見つめていた。特等席に座ることは、たんなる好き嫌いを超えて、彼の自尊心とも関わっていたのかもしれない。

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