紫式部は、兼輔が残した堤邸で、多感な青春時代を過ごしただけではなく、人生の大半を過ごした。父と同行した越前から戻ると、堤邸に夫の藤原宣孝を迎えて、娘の賢子を育てている。さらに、『源氏物語』を書いた場所も堤邸である。
紫式部が気に入った和歌
創作活動を行いながら、和歌で名を馳せた曽祖父のことを、堤邸でたびたび思い出したのだろう。兼輔が残した作品のなかでも、紫式部がとりわけ気に入ったのが、次の和歌だったようだ。
「人の親の心は闇にあらねども 子を思ふ道にまどひぬるかな」
子を持つ親の心は闇というわけではないが、子どものことになると道に迷ったようにうろたえるものですな……。
紫式部は『源氏物語』で曽祖父の歌を多く引用しており、この「人の親の心は……」が最も多く使われている。『源氏物語』が読み継がれることで、兼輔の歌も後世により広く知られることになった。これ以上の「曽祖父孝行」もないだろう。
そうして紫式部が受け継いだ和歌の才能は、さらに紫式部の娘、大弐三位(賢子)にも引き継がれていくことになる。
(つづく)
【参考文献】
山本利達校注『新潮日本古典集成〈新装版〉 紫式部日記 紫式部集』(新潮社)
倉本一宏編『現代語訳 小右記』(吉川弘文館)
笠原英彦『歴代天皇総覧 増補版 皇位はどう継承されたか』 (中公新書)
今井源衝『紫式部』(吉川弘文館)
倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書)
倉本一宏『敗者たちの平安王朝 皇位継承の闇』 (角川ソフィア文庫)
関幸彦『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』 (朝日新書)
鈴木敏弘「摂関政治成立期の国家政策 : 花山天皇期の政権構造」(法政史学 50号)
真山知幸『偉人名言迷言事典』(笠間書院)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら