浦和に住む知人が数人いるが、彼らはどこに住んでいるかを聞かれると、皆やや誇らしげに「はい、浦和です!」と答える。浦和市はかつて埼玉県の県庁所在地だったが、2001年に平成の大合併で旧大宮市、与野市と共にさいたま市となり、現在では浦和区などになっている。
埼玉県外の人間からすれば、浦和と大宮には大きな違いなどないようにも思えるが、浦和在住の多くの人が「大宮ではなく浦和です」と胸を張るのだ。それだけ引きつけられるものがあるのだろう。
浦和は江戸時代には中山道の浦和宿として栄えた。地域のほとんどが大宮台地上にあって地盤が安定しており、明治以降は別荘地としても評価が高かった。
多くの人が押し寄せるきっかけとなったのは、1923年の関東大震災だといわれる。難を逃れた人々が東京や横浜からやってきて、この頃から人口が増加し始める。移住の理由には、安定した地盤に加え、東京へのアクセスのよさ、下水道整備率の高さ、教育環境の充実が挙げられた。また、現在の南区にある自然豊かで美しい別所沼近辺には多くの画家が集結。神奈川県の鎌倉と並んで画家の街といわれるようにもなったという。
住みたい街、第10位に
浦和の住み心地はどうだろうか。SUUMO(スーモ)が発表した「住みたい街ランキング2020」の関東版で、浦和は10位。同じ埼玉県の街では大宮が4位なので、県下では2番目の人気ということになる。大宮は大規模商業施設などが集積し、住むというよりも買い物や遊びのイメージが強い。一方の浦和では、駅から降り立つと、街全体に気品と余裕が漂っているようにも感じる。
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