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ライフ #人が集まる街 逃げる街

今も昔も港と庄内平野により潤う 酒田市 [山形県]

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  • 牧野 知弘 不動産事業プロデューサー
最上川河口の酒田港。奥に見える鳥海山まで平野が広がる(PIXTA)

山形県酒田市は県北西部、日本海に面した人口10万人の街である。この街の姿を市の中心部にある日和山(ひよりやま)公園から見渡すことができる。松尾芭蕉の句にも詠まれた最上川が日本海へ注ぎ、川の北側に市街地が形成されている様子がわかる。河口付近には重要港湾に指定される酒田港があり、多くの大型船が行き交う。

この街は古くから港町として栄えてきた。1672年に河村瑞賢が開いた西廻り航路において酒田の港は北前船の寄港地となり、この港から出荷されるコメや海産物などが京都や大阪に運ばれたのだ。とくに珍重されたのがベニバナだ。江戸時代以降、酒田付近でよく栽培されるようになり、北前船で京都に運ばれて、着物などの染料として活用された。ベニバナで染められた雛人形や京友禅は戻る船で酒田に運ばれた。「紅一升は金一升」といわれるほど稼ぎがよく、ベニバナは酒田の街を潤した。

こうした交易で財を成した豪商が本間家である。鎌倉時代から戦国時代にかけて佐渡国を支配した佐渡本間氏の分家として酒田に住み広大な農地を保有。その面積は1750ヘクタールにも及び、「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と謡われるほどの権勢を振るった。日本最大の地主ともいわれたが、戦後GHQ(連合国軍総司令部)によって農地改革が行われ、その面積は4ヘクタールとなる。なお、ゴルフを趣味とする人なら誰もが知る本間ゴルフの創業者は、この本間家の庶流に当たる。

現在は、肥沃な庄内平野での農業が盛んで、「つや姫」などのブランドで知られる庄内米、庄内砂丘メロン、庄内柿などが有名だ。港町として今も栄え、年間の取扱貨物量は330万トンに上る。取り扱いの多くを占めるのは石炭だが、市内にある花王酒田工場は酒田港から大陸に製品を輸出し、原材料を輸入する。北前船こそなくなったが、環日本海諸国との貿易基地として、酒田港は今も、北東アジアに開かれている。

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