新年を迎え、令和時代も2年目を刻んだ。なのに、令和時代という実感がいまだに乏しいのは筆者だけではあるまい。平成の何が終わって、何が別に始まろうというのか。
そう自問自答しながら、昭和から平成への移り変わりに思いをはせてみた。昭和は戦争から繁栄への劇的な切り替わりの時代だった。この見方に異論はなかろう。一方、平成は繁栄から衰退への時代だった。さまざまな場面で日本型システムが弱点を露呈した。令和は企業の競争力低下や人口減少といった衰退から、別の何かに特徴がスイッチしていく時代だろう。
時代が変わる感覚は同時代を生きているときには自覚しにくい。だからこそ、変化に敏感な人々は、時代が変わることを伝えなければならないという強い使命感を抱く。吉田満の名著『戦艦大和ノ最期』には、出撃した士官たちの死生観がつづられている。「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩ということを軽んじすぎた。(中略)今日目覚めずしていつ目覚めるのか。俺たちはその先導になるのだ。日本の新生に先駆けて散る。まさに本望じゃないか」(臼淵磐大尉の弁、原文はカタカナ表記)。士官たちは、必敗を覚悟して、自分たちが死ぬ意味を新時代のためだと自分に言い聞かせながら出撃していったという。大艦巨砲主義が終わっていることは、士官たちには明らかだった。しかし、当の日本海軍は、大艦巨砲主義を捨てられなかった。
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