国会議員の下劣な品行は、日本政治の風物詩になりつつある。スキャンダルはいわずもがな、日々の言動が物議を醸すことも少なくない。
正人君子は希少だから、貴く偉いのであって、数百人もいる議員が、そろって庶民の師表として高潔有能であれ、というマスコミの要求は高きに失する。筆者はそう思いはするけれども、確かに見聞する議員の姿態に感心をしたことはない。
あらためてこんなことを書く気になったのは、ウォルター・バジョットの『イギリス憲政論』を読みなおしているからだろう。小欄第98回でも引いた政治学の古典である。
序文を寄せたアーサー・バルフォアが、この書をおもしろくないと思うヤツはバカだと書いていた。ともあれバルフォアにバカでないと認定されてうれしい。何度も引くのは、とにかく読んでおもしろいからである。
本質的に愚劣な議員
内容を一言でいえば、イギリス立憲君主制の擁護論である。同時代のフランスの皇帝制やアメリカの共和制に優越することをいうばかりではない。なぜそうなるのか、イギリス立憲制の構造解析をおこない、その構造が歴史的な所産であることを特筆する。
そうした意味で、とてもイギリスらしい本であって、歴史の経過を重んじるところ、大いに意を強くした。おそらく歴史学にとっても、「政治学の古典」という以上の価値がある。
これを読んでよくわかるのは、階級社会で最古の議会制国家イギリスでも、議員という人々は、本質的に愚劣だということである。だから現代日本人も、議員の資質が低いと絶望するには及ばない。メディアもそのあたりを履き違えて、煽(あお)りすぎているのではないか。期待しすぎるから、失望も大きくなってしまうのである。
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