バブル崩壊後の経営再建を担い、REIT(不動産投資信託)の生みの親となり、都心再開発ブームの仕掛け人でもある。不動産業界の重鎮、岩沙弘道・三井不動産会長が熱狂と混沌の平成を語る。
平成の幕開けの1989年、日本の不動産業界は熱狂の渦中にあった。内需拡大という政府の方針の下、金利が引き下げられ、個人も企業も、過大な借金への警戒心が薄れていった。当時の日本企業は世界的に競争力があったため、調達された資金は本業への設備投資ではなく、株や不動産へと向かった。戦後50年近く日本の地価は右肩上がりが続いていた。だから今後も必ず上昇する、という強固な固定観念、いわゆる「土地神話」が日本中を支配していた。
私は当時、開発企画部の次長として、都市再開発に向けた事業の仕掛けを担当していた。平成バブルのピーク時には優に50を超えるプロジェクトを同時並行で動かしていて、当時の再開発の波に乗り遅れまいと大忙しだった。
他社との土地獲得競争は熾烈を極めた。地価の上昇がさすがに過剰になってきたと思い始めた頃のある日、某大手保険会社が利回り2%で算定したとしか思えない価格で、都内の不動産を競り落としたのを見た。当時は調達金利が5〜6%だった時代だ。将来の生活設計を支えるセーフティネットとして預けられた顧客の資金を運用する保険会社が、こんなキャピタルゲイン狙いの投資をしていいものか、とあぜんとした。
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