日銀マンから日本長期信用銀行の最後の頭取、そしてセブン銀行の初代社長に。激動する平成期の金融界を駆け巡った男が回顧する。
平成が始まった1989年、私は日本銀行の電算情報局長だった。それよりも前のことだと思う。金融機関の考査に行くと価値が100円しかないのに、120円分の融資をつける現象が普通に起こっていた。私が問題ではないか、と指摘すると、考査先の銀行から「この間までは80円の価値だったのが100円になり、今130円になっている。何が問題なのか」と逆に問い返される始末。プロジェクトファイナンス案件も、北海道や関西などからは「早く来てくれ」「東京だけで終わらすな」という感じだった。まだバブルという言葉はなかった。
あれだけ株価が上昇したのだから、下落するのは仕方がない。しかし、1990年3月に当時の大蔵省銀行局が不動産融資規制を打ち出したのはまずかった。「大変なことになるな」と思った。金利が上昇する中で地価が下がっていくのならいいが、規制という手段となると競争が否定され、一斉にダメとなる。それだけ富める者と富まざる者との格差がひどかったということだろうが、あれは(大蔵省銀行局長だった)土田正顕さんの対策不足だった。
この記事は有料会員限定です
残り 522文字
