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今年は明治維新百五十周年ということで、いろんなところで、種々の企画があるらしい。畑違いながら、場所も時期も遠くないところを専門とするためか、筆者にもそんな企画関与のお話を一再ならずいただくことがあった。
明治維新は日本の一大画期であり、現代の出発点でもある。福澤諭吉がそのトップランナーの一人だったことはまちがいない。だから高額紙幣一万円札の肖像にもなっている。
その福澤が残した膨大な著述のうち、おそらく最も著名で物議を醸した文章の一つが、「脱亜論」と題した短文。これほど短い文章が、これほど論議の的になるとは、当の福澤じしんも思っていなかったであろう。
相反する解釈
しかし文章の影響力は、必ずしも長短に比例しない。「脱亜論」こそは近代、いな史上の日本と東アジアのあり方を端的に語る文章として、絶大な位置を占めている。いわば近代日本の古典にほかならない。それにしても、「亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」と言い放っては、やはりインパクトがありすぎる。
短文だけに後世さまざまな解釈を許していて、歴史研究の文脈では、脱亜論とアジア主義を対置させる構図が、支配的な枠組みであった。前者はアジアを離脱し、欧米に寄り添う方向、後者はアジアと連帯して、欧米に対峙する方向だとみなす。つまり180度逆のベクトルで、わかりやすい。
なるほど、確かにそうである。しかしその相反は、まったく乖離しているわけではない。「脱亜」的な思考はいわずもがな、「アジア主義」というのも、東アジアの事情や思考を無視している点で、共通している。
明治の文明開化のころにしても、あるいは戦後の高度成長期においても、そうだった。いずれも日本人の、日本人による、日本人のための独り善がりな議論、戦前・戦後を貫く発想・思潮だった点では、まったくかわりない。
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