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今に生かすべきバブルの教訓 日米経済摩擦と円高恐怖論

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【今週の眼】小峰隆夫 大正大学地域創生学部教授
こみね・たかお●1947年生まれ。東京大学卒。経済企画庁経済研究所長、物価局長、調査局長、国土交通省国土計画局長などを経て、2017年4月から現職。日本経済研究センター理事・研究顧問も務める。著書に『人口負荷社会』『日本経済論の罪と罰』『政権交代の経済学』など。(撮影:尾形文繁)

1990年代以降、日本経済が直面した諸問題は、その遠因を探っていくと、ほとんどすべてが80年代後半のバブルに行き着く。バブルは発生すれば必ず崩壊する。バブルの崩壊は、資産価値の暴落によって不良債権を増大させ、需給ギャップの拡大を通じてデフレをもたらし、税収の落ち込みと度重なる財政出動によって財政赤字を拡大させた。

このバブルには財政・金融政策の失敗が関係している。財政については、80年代を通じて、内需主導の成長を目指して何度も公共投資の拡大などが繰り返された。たとえば、90年には日米構造協議を受けて公共投資基本計画が決定され、91~2000年度に総額430兆円の公共投資を行うことを決めている。

金融も緩和状態が続いた。日本銀行は、86年1月から87年2月まで5回にわたって5%の公定歩合を引き下げ、2.5%とした。そしてこの歴史的低金利は89年5月まで続いた。

当時日本の景気は86年11月に底を打ち、91年2月に景気の山を迎えるまで長期拡大を続けていた。にもかかわらず、政府の内需拡大方針、公定歩合の歴史的低水準が続いたのはなぜなのか。その理由としては次の二つが考えられる。

一つは、日米経済摩擦への対応である。80年代に入り、経常収支赤字が拡大していた米国は内需拡大を強く求めてきた。日本の内需が拡大すれば、米国からの日本への輸出も増え、日米間の貿易不均衡が是正されるという理屈である。

もう一つは、円高への恐怖心である。80年代後半、プラザ合意によって始まった円高は予想以上に急速に進み、1ドル=240円だった円・ドルレートは、89年には120円台にまでなった。産業界からは厳しい状況を訴える声が強まった。これに応えて次々と景気対策が実施されていったのである。

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