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小欄は当の筆者の力量も顧みず、「東アジアの運命」などと大上段にかまえたものだから、その報いは覿面(てきめん)。この不穏な情勢のなか、いつも中国・韓国、大陸や半島に注目しなくてはならず、なかなか気の休まる暇がない。日本列島もこきまぜて、つくづく各国政府当局は勤勉だと思う。
いかにヒマそうな地方の大学教師でも、今日日(きょうび)はそれなりに身辺多忙、通常業務をマジメにこなせば、天下国家の大事についていけない。そんな世情になりつつある。
齷齪(あくせく)する日常の合間、ちょっと小休止、という時には、つい愛読のエッセイ集に手が出る。長編大作だと、深みにはまれば小休止どころか大休止、サボタージュかストライキになりかねない。エッセイなら短編をいくつか読んで、気分がよくなれば、すぐ仕事に復帰できる。いつしか身につけた気分転換の方法だった。
大学教師は三日で辞めたい
今回、手に取ったのは奥本大三郎『虫のゐどころ』新潮社、1992年である。この本は四半世紀前にみつけた書物で、その当時、読む端から抱腹絶倒、同情共感、膝を打って喜んだ。ところが少し落ち着いて考えなおすと、やがて慄然(りつぜん)とするにいたった本である。思い出はなかなかに深い。
抱腹絶倒というのは、大学という学問教育の場の変遷、いな堕落を明快軽妙に描いているところにある。内容は自他ともに深刻であるはずなのに、そんな重苦しさを感じさせない。恐るべき筆力だと感歎した。
同情共感というのは、そんな環境のなか、奥本先生が大学勤めを厭(いと)う心情を吐露する文面に対してである。「大学教師三日やったら辞めたくなる」は、同業者ながら当時は快哉を叫んだフレーズだった。人文系の学者なら、すべからくこうあるべし、と思ったもので、筆者もまだ若かったのだろう。
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