2017年4月に亡くなった母は、亡父とそろってテレビの時代劇が大好きだった。おかげでこちらも、時代劇には幼少の時から慣れ親しんでいる。
別にとりたてて、ファンというほどでもない。しかし大川橋蔵の「銭形平次」、中村梅之助や杉良太郎の「遠山の金さん」あたりは、何度も再放送をみたためか、鮮明に憶えている。
そのため本職の授業でも、中国史上の銅銭を紹介、説明するのに、つい「銭形平次の投げるヤツです」なんて口走ってしまう。15年くらい前には通じたこのフレーズも、今はもう学生は誰もわかってくれない。今日の若い子は時代劇はみないし、放映もあまりしないそうだ。本格的な番組は、新春くらいしかやらなくなっている。
そんな時代劇、「大岡越前」は最も代表的な作品の一つだろう。「遠山の金さん」など数ある捕物帖のたぐいも、実はそのエピゴーネンにすぎない。
大岡越前のネタ本
「大岡越前」といえば、江戸町奉行大岡忠相(ただすけ)の人情味溢れる「大岡裁き」。「小西屋嫁入」「三方一両損」などは名判決の代名詞で、庶民理想の裁判官だった。
もちろん史実の大岡越前守忠相は、こんな人物ではない。つとに歌舞伎や講談にもなった『大岡政談』という書物による、全くのフィクションだった。
この『大岡政談』にもまた元ネタがあって、『棠陰比事(とういんひじ)』など、中国宋代以降のいわゆる「公案」モノである。元来はさしづめ裁判記録・判例集といったところだが、むしろ捕物帖・探偵小説ふうに読まれた。日本に入って訳されたのは、江戸初期のことである。
そこまで思い至ると、「大岡裁き」に快哉をとなえるばかりではいられない。「大岡裁き」はその場その場の情状・人情が左右する。ルール・法律で割り切ってしまうと、不公平や不都合なことが起こりやすい。しかしその場に応じた情理は、それこそ人情・情実に左右される。「大岡裁き」ならよいが、不当悪逆な判決も下されかねない。曲直の振幅が大に失してしまう。それなら誰にでも見えるルール・法律を作って、上下がそれを厳正に守ったほうが、長期的にみてはるかに合理的だ。
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