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2月9日開幕の平昌(ピョンチャン)冬季五輪が間近に迫ってきた。この大会は今も地元韓国人の関心が高まらず、先行きが危ぶまれている。しかしこれはかえって、五輪の意義を考えなおす、よい機会かもしれない。
今を遡(さかのぼ)る四十年前の1979年末、ソ連がアフガニスタンに侵攻した事件で、日米など西側諸国にくわえ、中国をふくむ五十カ国近くがモスクワ大会をボイコット、ソ連をはじめとする東側諸国は、その報復として、次のロサンゼルス大会をボイコットした。
筆者はこのころ、中高生である。スポーツの祭典というキレイ事ではなく、五輪こそ生々しい国際政治そのものなのだとようやく気がついた。何ともおぼこいものである。
しかも近年はいよいよ巨大化・興行化するばかり。その評価もメダルの色と数を至上の基準とする。そこに厖大(ぼうだい)な利権がからんで、大会は国際商業主義の舞台となりはててしまった。
南北対話を進められるか
選手からすれば、富貴名声を獲得する希有の機会である。薬物・ドーピング問題が起こっても、何ら不思議ではない。選手を送り出す側も、利権と威信がかかっているから、準備を整えるだけで、ほとんど国家の一大事業である。
平昌五輪もそんな準備・運営が問題かと思っていた。しかしそれだけですまないのが、東アジア情勢の複雑なところだろう。にわかに平昌が話題となったのは、韓国の文在寅(ムンジェイン)政権の動きによる。文大統領の基本路線が北朝鮮との対話なのは、もはやくりかえすまでもない。そして今回の五輪大会も、ひとまずスポーツ・平和の祭典という建前であるから、対話の端緒としては絶好の機会を提供する。
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