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国士か、テクノクラートか 官僚としての生き方を考える

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【今週の眼】小峰隆夫 大正大学地域創生学部教授
こみね・たかお●1947年生まれ。東京大学卒。経済企画庁経済研究所長、物価局長、調査局長、国土交通省国土計画局長などを経て、2017年4月から現職。日本経済研究センター理事・研究顧問も務める。著書に『人口負荷社会』『日本経済論の罪と罰』『政権交代の経済学』など。(撮影:尾形文繁)

官僚のあり方を考えさせられるような出来事が相次いでいる。その中で、次の二つについて私は漠然とした違和感を覚えた。

一つは、5月に経済産業省が次官・若手プロジェクトの成果として「不安な個人、立ちすくむ国家」という報告書を公表したことだ。これは「中長期的な政策の軸となる考え方を検討し、広く世の中に問いかける」ことを目指したものだという。

もう一つは、文部科学省の前事務次官の発言だ。前事務次官は「獣医学部新設問題で行政が歪められた。それを見逃したことに忸怩(じくじ)たる思いがある」と述べている。「体を張ってでも阻止すべきだった」と言う人もいる。

本稿を書くに当たり、なぜ私が違和感を覚えるのかをあらためて考えてみた。

私は約35年間、政府(経済企画庁)で官僚生活を送ってきたのだが、官僚には二つのタイプがあると感じていた。一つは「国士」タイプである。「自分たちが国を動かしているのだ」という使命感と誇りを持ち、自らが政策をリードしていくというタイプだ。

もう一つは「テクノクラート」タイプである。官僚は大臣から与えられた課題を効率的に処理するのが基本的な役割であり、その範囲で全力を尽くせばよいと考える。

私自身は、テクノクラート型を志向していた。私の考えはシンプルだ。行政が実行する政策の基本方向は民主的な政治プロセスを経て決定されるべきであり、官僚はその基本方向に沿ってできるだけ効率的に政策を実施すればよい。選挙によって選ばれたわけではない官僚が、国民の代理として政策の基本方向を決めるのは僭越である。

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