昨今の業界再編策や企業救済策は、民間人を登用するにせよ、霞が関が経営に乗り出すに等しい。歴史を振り返ると、これは危ういといわざるをえない。
たとえば自動車産業。ヨチヨチ歩きの企業を国際競争の荒波から保護することで育成しようと、通商産業省が1960年代に奔走した。そうして立ち上がった業界が、80年代に入ると高い国際競争力を発揮したことは周知のとおりである。産業政策の成功事例と目されるのも無理はない。
しかしながら、もう一段掘り下げてみると、疑問が頭をもたげてくる。国際化を牽引したのは、通産省の構想に従わなかったホンダとトヨタ自動車である。ホンダは通産省の制止を振り切って4輪に参入し、トヨタ自動車は通産省の合併提案を拒絶した。プリンス自動車工業を代わりに吸収した日産自動車は、21世紀を目前にしてフランスの競合に救済を仰ぐに至っている。
半導体も大差ない。70年代後半に超LSI技術研究組合を立ち上げて、競合する半導体メーカーと川上の装置メーカーが一堂に会する場を通産省が設定した。そこで日本は生産技術に磨きをかけ、メモリ分野を制覇したことから、これはヒット策ともてはやされたが、栄華は20年と続かなかった。いまだ世界に君臨するのは画像センサーくらいなもので、それを主導するソニーは、組合から排除された口である。
片や米国企業は、19世紀を通して何の保護も受けることなく業界の覇権を争った。文字どおり食うか食われるかの闘いで、勝者が敗者をのみ込んでいくことにより、やっと業界に秩序がもたらされたと思いきや、政府が反トラスト法を制定して勝者を解体してしまう。保護するどころか、まるでむち打つ姿がそこにある。
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