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唐津・虹の松原は二里の松原 玄界灘の風を遮る黒松の防風林

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お薦めの土地はどこですか、とよく聞かれる。旅が多いからだ。ためらうことなく「唐津」(佐賀県)と答える。傷のない自然と人工の街との融合による景勝、そしておいしい魚介。文句の言いようがない。唐津城を核とした街づくりは、江戸時代の城下町の原型をよく保っている。イカ・カニ・カレイ・ウニなど新鮮な玄界灘の魚介のうまさは、いつ行っても変わらない。

先日、うれしい仕事を頼まれた。神戸港・唐津港行きで再び神戸港に戻る瀬戸内海クルージングでの講演だ。「唐津のことならお任せあれ」と、勘定奉行並みの見得を切った。

唐津城の築城者は寺沢広高だ。豊臣秀吉に仕え長崎奉行などを務めた。関ヶ原の合戦後、徳川家康に重用され、上松浦地方と飛び地天草4万石を加増され、12万3000石の大名になった。唐津湾に突き出た岬の満頭山に城を築いた。

発想が面白い。城を鶴に見立てた。満頭山に建造した本丸・二の丸・三の丸を鶴の頭部と胴体に、東西に広がる浜の白砂を鶴が広げた羽とした。広高は人望があったらしく、先輩大名が普請に協力している。島津家の「薩摩堀」、加藤家の「肥後堀」、鍋島家の「佐賀堀」などの名が残っている。 

城内は藤の花で有名だが、天守閣内は古今の陶磁器の展示場でもある。秀吉の出兵後、朝鮮の陶工が日本、特に九州の焼き物に大きな影響を与えた。唐津にも由緒ある陶工の窯がたくさんある。

城の完成後、陳情が来た。玄界灘から吹きつける強風が浜の砂を巻き立て、農作物を皆ダメにしてしまうという。広高はすぐ家臣・領民を動員し、「浜に松を植えよ。一重では風は防げぬ。何重にも植えよ」と指示した。植えられたのはほとんどが黒松だ。幅600~700メートル、長さ6キロメートルに及ぶ巨大な松原が出現した。領民たちは“二里の松原”(一里は約4キロメートル)と呼んだ。

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