遅まきながら映画『シン・ゴジラ』を見た。高齢者なので入場料は1000円におマケしてくれた。こういう扱いはあまり好きではない。
かつて週刊誌で映画評をしていたとき、必ず普通料金を払った。「割引なのになぜムダなことをするのよ」と、顔見知りのテケツ嬢(入場券〈チケット〉を売る女性)がいぶかった。私は「作品の悪口が言えないから」と応じた。「変わってるわね」とテケツ嬢は舌を鳴らした。
さて『シン・ゴジラ』。ゴジラに襲われた日本政府の対応物語だ。いうところの「危機管理」。総理大臣以下の総力結集。しかし政治家の思惑や、あしき官僚主義が顔を出して、防衛策の進行を妨げ、見る者にもどかしさといらだちを感じさせる。
的確な対応策を生むのは、クールで国と国民を思う内閣官房副長官が指揮する、“変わり者の異能者”集団。タスクフォースだ。ノーマルなルーチン組織は役に立たない。
危機克服には、有能な補佐層の選択肢提供と、その中から最良の策を選ぶトップの決断が必要だ。そして職責としてこの二つには画然とした区別がある。つまり補佐層の限界は、解決のための選択肢提供まで。そして決断はトップ固有の権限であって、下には任せられない。映画ではこの区別をよく守っていた。現在、官民を問わず“トップは山頂の一本松”だといわれる。風当たりが強い。孤独だ。しかし幹としてしっかり根を張っていかなければ、自分に従う枝葉(部下)まで共倒れになる。
天体が地球に衝突したり、異星人が襲来したりする『インデペンデンス・デイ』などの米国映画と同工の作品だが、進行の串を“危機管理時の意思決定のあり方”にしたのは、見る人々の共感を呼ぶ。
決断力といえば、戦国末期から江戸初期にかけ活躍した黒田如水(官兵衛孝高)を思い起こす。“日本一鋭い頭脳を持つ男”といわれた。情報力と分析力に優れ、瞬時に決断する。“先読み”の的確さは余人の追随を許さない。そのため信長・秀吉・家康の3人の天下人に警戒された。
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