放任しておいても需給は過不足なく均衡する。これがミクロ経済学の教えるところであるが、現実世界は至る所で不均衡が垣間見られ、それを緩和すべく政府が市場に介入する。介入を是とするのか、非とするのか、そこが現代イデオロギーの分水嶺にほかならない。
たとえば、タクシー業界が今は混乱の渦中にある。小泉政権は自由化を推進し、その帰結として大阪でワンコインタクシーや5000円以上半額タクシーのような新たな選択肢が出現した。ところが、タクシーが余るにつれて運転手の収入が減ったことを問題視して、安倍政権は一部地域で減車を推進する。同一政党の下で許認可制から自由化へ、自由化から許認可制へと政策が転々とする様を見ていると、イデオロギーなき迷走に首をかしげたくなる。
イデオロギーが分かれるのは、いつまでに正義が実現すれば満足するのかという気の長さが人によって異なるからである。目の前の運転手を惨状から救いたければ確かに放任はできない。かといって介入すれば、職にありつく運転手の収入が増え、増車申請や開業申請が殺到したとき、行政は「神の見えざる手」の代役を公平に務めきれなくなる。
さらにいうなら、今でも雨の日はタクシーが足りない。需給の不均衡は時と場所による問題で、それを解消する最強の手段はITの活用である。自由化期間にIT投資を果敢に行ったタクシー会社こそ次世代の旗手となる可能性を秘めているのに、行政が好む一律の減車を強要しては彼らがばかを見る。それでは長期的な進化の芽を摘むことになってしまう。
そもそも需給の調整には時間のかかることが多い。その最たる例が人材で、米国では、移民第1世代は食べていくのがやっと、第2世代は言葉以外のハンデに苛(さいな)まれ、第3世代になって表舞台で活躍する逸材が登場するという。需給ギャップの目立つ新天地で身を立てるには3世代かかるというのである。だからこそ皆が歯を食いしばって頑張る結果、米国は活力に満ちあふれているという認識が、かの国では共有されている。
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