「喪中につき年頭のごあいさつは失礼させていただきます」というはがきがたくさん来る。恐縮する。というのは私はかなり前から喪中でもないのに、年頭のごあいさつ(たとえば年賀状)は勝手に失礼させていただいているからだ。年賀状を下さった方でどうしても義理を欠く、と思う方には近刊の本にサインしてお送りする、という「年賀状の整理法」については、このコラムでずいぶん前に書かせてもらった。
そういえば「朝の新聞もまず訃報から見る」と前に書いたが、最近特に目に残る一文がある。それは「葬儀(密葬)は親族で済ませた」という追而(おって)書が多くなったことだ。中には「お別れの会は別に行います」という付言のあるケースもある。
逝った人の送り方が変わってきたことは事実だ。お通夜と告別式のあり方が再考されている。新聞に載る人はいうところの有名人だろうから、そういう層から「親族で済ませました」という告知は、いろいろなことを考えさせる。この告知は「故人のお通夜も告別式も行いません」ということの告知でもある。個人的な弔問を拒むわけではなかろうが、とにかく公のセレモニーは行わない、ということである。
この種のセレモニーは、「死者にかかわりなく生者の行事だ」といわれてきた。どんなに盛大に行おうと粗末に行おうと、死者のあずかり知らぬことだ。だからこの省略は“多くの方々にご迷惑をかけない”という意味では非常に画期的な、思い切った勇断だと思う。が一方、他人のお通夜や告別式で出会って「こういう場所でしかお目にかかれませんね」と、旧交を温める高齢者もいる。つまり“再会の広場”なのだ。故人をしのびながらおそらく心の中では、(まだお迎えが来なくてよかった)と自身の幸運を喜び合っている、という例もなくはないだろう。
この記事は有料会員限定です
残り 658文字
