今大会で異色の存在はイスラエルだった。イスラエルにはプロリーグがあるが、そこから招聘された選手は少ない。アメリカでキャンプを張り、ユダヤ系の選手を集めてセレクションを行って陣容を決めた。中にはイアン・キンズラーのような大物選手もいたが、現役大学生や、すでに引退してMLB球団職員になり、五輪のためだけに復帰した選手もいた。今季は野球をまったくしていない選手もいたのだ。
キャリアではなく「動けるかどうか」で選んだ選手が、ドミニカ共和国や韓国に「あと1点」まで迫り、メキシコに勝ってイスラエルに「五輪初勝利」をもたらした。今五輪で敢闘賞をあたえるとすればイスラエルだった。日本との対戦がなかったのが残念だ。
進む「野球離れ」を止められる?
日本が金メダルを取って各放送局の野球解説者たちも胸をなでおろしていた。印象的だったのがNHKの藤川球児氏だ。
「野球離れが進む中、侍ジャパンがよくやってくれた。これで野球を始める子どもたちが増えてくれたらいいと思う」
藤川氏は2015年、MLBから日本に復帰し、2カ月だけ郷里の独立リーグ高知に入団した。筆者は入団会見を取材したが、そのときも「高知でも野球をする子どもが減っている中、少しでもプレーする姿を見せたい」と言っていた。この問題意識は重要だろう。
日本代表は、2006年、2009年と“野球のワールドカップ”であるWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で連覇した。王貞治、原辰徳が監督を務め、松坂大輔が2回連続でMVP、イチローやダルビッシュ有、小笠原道大などの選手が大活躍した。
この頃から野球少年の夢は「甲子園、プロ野球選手」から、「WBC、世界の舞台での活躍」へと変化した。2006年WBCのとき大谷翔平は12歳、2009年WBCのとき山本由伸は11歳。今、世界で活躍する選手は、WBC、世界という新しいステージを夢見て野球をするようになったのだ。学童野球の競技人口は2006年は16万9954人だったが、2回のWBCを経た2009年には18万58人と約6%増加した。
しかしこの2009年をピークとして競技人口は減少し続け、2019年には35%も減った11万7176人になっている。中学、高校の競技人口も激減している。
東京オリンピックを機に、野球をする子どもが増えてほしいと切に願う。しかし野球五輪競技は次回2024年のパリ五輪では行われない。2028年のロサンゼルス五輪で採用されるかどうかもわからない。
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