これには3つの理由がある。第一には、経済学は未熟な学問だということだ。経済学には、経済のことはまだ何もわかっていないのだ。資産価格の変動の理由は、わからない。少なくとも学問的には確立した理論、説明方法はない。そこで、今回のノーベル賞は、現時点での2つの有力説のそれぞれの代表、効率的市場仮説を中心とした現代ファイナンス理論のファーマと、投資家行動がすべてを決める行動ファイナンス理論のシラーが同時に受賞することになったのである。
何も確定的なことは言えないが、わからないことに果敢に切れ込んでいる経済学の2つの理論が受賞することになったのである。果敢に切れ込む経済学者もすごいが、切り込み隊長にノーベル賞をやる委員会の度胸がすごい。
動き続ける「的」
第二には、これはやむをえない面があるということだ。すなわち、自然科学においては、原理は動かない。不変の真理がある。重力というものが明日から存在しなかったら困るだろう。しかし、経済は動く。社会も動く。リーマンショック前までの資産市場とその後の資産市場は明らかに異なった動きをしている。前後の動きをつなぐのは、どちらでも主体である経済主体、金融機関であり、それを動かしている人間であるが、人間自体の行動原理も動いている可能性がある。そうなれば、その動いている人間が複雑に絡み合う社会や市場の動きも、原理そのものが変わっていくだろう。そして、そもそも原理があるのか、という問題まで正当な疑問として生じてくるのだ。
つまり、有名な投資家ジョージ・ソロス、彼は自称だが経済学者(あるいは社会学者)を断念した投資家であるが、断念した理由は、的は動き続けている、そして、研究、分析すること自体が的を動かす、と述べているように、市場は動き続け、それは学問により、また動いてしまうのだ。
現代ファイナンス理論が広まれば、それを勉強した優秀な学生が金融機関で運用を行えば、その理論に近い世界が生まれるだろう。一方で、そういう動きをすると理解した現場のプロは、彼らの動きを予測して、仕掛けることもできるだろう。その仕掛けを分析して、学会に発表すれば、その仕掛けはもはや通用しなくなるが、その仕掛けをさらに利用しようとする可能性もある。これが動く的と学問、分析の関係である。的とは、投資家であり、市場である。
第三には、経済や市場というものが、わかっていない状態でも、何らかのヒントをつかみたいというニーズがあまりに大きいということだ。経済や金融市場の社会的影響力が圧倒的であるために、まだ未熟な経済学に期待が集まるのであり、未熟なままでノーベル賞を与えても、さらなる発展を促すということを社会の側がニーズとして持っているということだ。
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