ブランドコンテンツとは
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ブランドコンテンツとは

ブランドコンテンツは、企業や団体のブランディングをサポートする東洋経済オンラインの企画広告です。

グローバルな世界は今、確実に私たちの眼前にまで近づいてきている。ビジネスや文化芸術は言うまでもなく、揺れ動く国際情勢からも、もはや私たちは無縁ではない。情報技術の進化によって、あらゆる情報が一瞬にして世界を駆け巡り、そのつど判断や決断を迫られることはすでに当たり前の景色となっている。多様性を意味するダイバーシティが浸透していく中で、私たちはこれまで以上に、学習や経験、場数を積み重ね、グローバル社会を生きていくためのイノベイティブな思考力、価値観を身に付けなければならない。
そんな新しいグローバル世界にいち早くチャレンジし、今必死に戦っている人たちにとって、必須の能力となっているのがスピード感のある決断力だ。では、どうやって彼らは「グローバル社会で求められる決断力」を身に付けることができたのか。日々世界を目指し、格闘する彼らの姿を見つめながら、そのヒントを探る。

大学に行けば誰かがいた

――同志社を選んだ理由は何ですか。

加地 同志社には中学から入ったのですが、志望理由は関西の学校の中で比較的上品で自由な校風だと思ったからです。大学へは内部進学でしたから、大学受験の勉強は経験していません。そのため中高時代は自由に過ごしました。

 大学では友人・知人たちとの交流にほとんどの時間を費やしていました。とくに熱心に勉強するというわけでもなく、サークルにも入りませんでしたが、大学に行くのは好きでしたね。大学に行けば毎日誰かしら人がいる。人と話すのが好きだったのでしょうね。ちなみに、吉本興業では商品が人です。人とコミュニケーションをしながら、うまく仕事を進めていくというスタイルは、当時の経験が生きていると思います。

――どのような経緯で吉本興業に入社されたのでしょうか。

加地 京都生まれの関西人ですから吉本の名前は知っていましたが、劇場に観にいくほど熱心なファンというわけでもなく、テレビでバラエティ番組を観て楽しんでいる程度でした。就職活動でたまたまマスコミ関係を受けて、受かったのが吉本興業だったのです。

 入社当時はしんどかったですね。名前を覚えてもらうのに1年かかるような感じでした。ちょっと前まで大学生をやっていた若者からすると、非常に精神的に鍛えられる環境でした。

 実際、名前を覚えてもらうように努力もしました。また、先輩たちにいろいろと教えてもらうために、いかに飲みに誘われやすいような雰囲気をつくるかということにも気を遣いましたね。

――これまでどんな仕事をされてきたのでしょうか。

加地 最初に担当したのが、西川きよし師匠です。その後、M-1グランプリの事務局をしながら、大阪で若手の担当をしました。フットボールアワー、麒麟などです。それから東京に転勤となって、千原兄弟、東野幸治さん、次長課長のマネジメントを担当し、劇場関連、NSC(吉本総合芸能学院)ほか、スタッフを養成するYCC(よしもとクリエイティブカレッジ)の立ち上げも経験しました。現在は東京で若い芸人さん約3000人をマネジメントするチームの統括をしています。


多くのスタッフと仕事をするには礼儀が欠かせない

――仕事における成功や失敗のエピソードがあれば、教えてください。

加地 細かい失敗は多いですね。たとえば、2016年12月に行われたM-1グランプリでは、担当する相席スタートが決勝に勝ち上がりました。そのため、私は本番前に本人たちと展開を読みながら、ネタの細かい調整を行いました。陣営としての戦略、いわば、読みを立てるためです。しかし、その読みも結局はナマモノ。そのときは、ものの見事にはずれてしまいました。

――マネージャーの仕事の基本とは何でしょうか。

加地 まず大事なのは犠牲心です。自分の時間をタレントさんのためにいかに使うことができるのか。つまり、自分の日常の優先順位をまずタレントさんにおくことです。そして、 “個人商店”として売り出していく中で、自分から潮の流れをつくらないようにすることです。

 かつて先輩マネージャーに「空気を読め」と言われたことがあります。いわば、潮の流れを読め、ということです。それは会社や現場などで過ごす時間が長くなっていくと、自然と身についてくるものだと思います。

 もうひとつ大事なことは、礼儀です。たとえば、仕事の確認のやりとりについては、必ず返事を返す。基本的なことだと思われるでしょうが、意外にできない人が多いのです。あるスケジュールが決まるまで一度も返事を返さないよりも、現在のスケジュールの状況についてきちんと説明して返事を返すほうがいい。それが結果として礼儀正しさにつながっていくのです。

――先輩以外の方からも学ぶことはありましたか。

加地 社員の先輩方だけでなく、担当するタレントさんたちからも仕事を学びましたね。たとえば、有名な看板タレントさんがチャリティのために街頭で募金活動をすることが急遽決まった場合、一人でやらせるわけにはいきません。夜中に大道具さんにお声がけしてパネルをつくってもらい、一緒に声出しをしてくれる若手のスケジュールをおさえなければならない。“大きな人”が動くにつれて多くのことが動き、多くのスタッフと一緒に仕事をするためには、多くのコミュニケーションをとって、礼をつくす。その過程でさまざまな気遣いが必要になってくることを学びました。


海外ツアーで学んだプロジェクトの進め方

――渡辺直美さんのワールドツアーの成功までの軌跡、教訓になるようなエピソードがあれば教えてください。

加地 このワールドツアーは、ゼロから手作りでつくったので、「海外で仕事をするとは、こういうことなんだ」ということをまさに実感できました。とくに海外で興行をする際には、スタッフとしても動ける優秀な通訳がいないと仕事ができないと思いました。今回、私どものチームに入ってもらったのは、ニューヨーク在住20年の日本人で、アメリカ人の性質や文化について知り抜いている人で、本当にチームに貢献してくれました。

 海外では基本的にモノの考え方がまったく違います。日本では劇場のスペックに対して、演出の目的に合わせ機材を足していくという進め方をするのですが、アメリカでも同じようにしようとすると、契約社会なので、例外をなかなか認めてもらえません。そのため、現地に入って何日も直接時間をかけて交渉するしかありません。だからこそ、どんな話し方をすれば相手を説得できるのか。それをわかっているスタッフがいることが重要になってくるのです。

――新しいプロジェクトを立ち上げる際に気をつけるべきこととは何でしょうか。

加地 どのような新しいプロジェクトも、全部を組み上げてからスタートさせるのではなく、まずはできるところから試してみる。細かなところから始め、状況を見ながら、柔軟にやり方を変えていくことが必要です。もし当初の読みどおりに行かなければ、別の切り口を考えてみる。動かしてみないと、結果も見えません。プロジェクトを立ち上げる際には、まずは動かせるところから始めて、試してみることが大切だと思います。


海外でも仕事ができる新しい枠組みをつくりたい

――正しい決断をするために、その秘訣やノウハウがあれば、教えてください。

加地 自分がどこに行きたいのかを一番重視します。そこを基本にして判断を繰り返し、決断することが大事だと思います。たとえば、担当するタレントさんのために「将来こうしたい」という着地点をつくり、そのために「今後1年間の計画としてこうやりたい」という計画を立てる。そこから「3年後までにこうして、5年後までにこうなっておきたい」という目標をつくる。そこにつねに照準を合わせ、判断を繰り返していく。それが結果として正しい決断につながっていくと思います。

――それを実現するには人を動かすことも重要ですね。

加地 だからこそ、いつも必要以上に「こうしてほしい」と言っています。みんなとベクトルを合わせ、思いを共有するためです。私のチームにはマネージャーが約10人。デスク担当が5人います。部下のマネージャーに対しては、担当しているタレントさんのために何ができるのか。その方向性について何度も話し合っています。

――将来の目標を教えてください。また、もし具体的なキャリアプランがありましたら、そちらも聞かせてください。

加地 今回のワールドツアーの仕事は、これまでの仕事の中で、一番大変な仕事でした。今まで誰もやっていないやり方で自主興行をやったので、参考書が1ページもなかったのです。文化の違いで、国内でできたことがなかなかできず、勝手が違うしんどさを味わいました。

 しかし、その過程で教えられることが多かったのも事実です。だから将来は、海外でもたくさん仕事ができるような新しい枠組みをつくりたいという気持ちも芽生えてきました。昔は自分で一から映画をつくりたいと思っていた時期もあったのですが、海外を経験したことで、今はもっと大きなことがある。そう思うようになりました。

加地信之(かじ のぶゆき)吉本興業カンパニー 株式会社よしもとクリエイティブ・エージェンシー マネジメントセンター 東京マネジメントセクション●2001年同志社大学経済学部卒業。よしもとクリエイティブ・エージェンシーで、ベテランから若手まで200組以上ものマネジメントを長年にわたって担当。以降、神保町花月支配人、よしもと幕張イオンモール劇場支配人を歴任。現在は、東京マネジメントセクションに所属し、渡辺直美、トレンディエンジェルなどのチーフマネージャーを担当し、活躍の場を広げている。