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カズレーザー
メイプル超合金 成功の理由は大半が運、
だけど売れるために最低限必要な要素はある -
加地信之
吉本興業カンパニー 株式会社よしもとクリエイティブ・エージェンシー
マネジメントセンター 東京マネジメントセクション 「自分がどこに行きたいのか」を考えることが
正しい決断につながる -
坊垣佳奈
株式会社サイバーエージェント・クラウドファンディング取締役 海外の事例を日本流にアレンジしつつ
客観視を通じて「決断力」を高める -
山内学
株式会社アミューズ アジア事業部 部長 兼
艾米斯傳媒(上海)有限公司 取締役 私の仕事は「港」、
日中の架け橋になりたい - 現代編の設定が、なぜ「2024年」ではないのか 「海に眠るダイヤ」2018年を描く"最大の謎"の真相
グローバル社会は今、確実に私たちの眼前にまで近づいてきている。ビジネスや文化芸術は言うまでもなく、揺れ動く国際情勢からも、もはや私たちは無縁ではない。情報技術の進化によって、あらゆる情報が一瞬にして世界を駆け巡り、そのつど判断や決断を迫られることはすでに当たり前の景色となっている。多様性を意味するダイバーシティが浸透していく中で、私たちはこれまで以上に、学習や経験を積み重ね、グローバル社会を生きていくための思考力、価値観を身に付けなければならない。
そんな新しい世界にいち早くチャレンジし、今必死に戦っている人たちにとって、必須の能力となっているのがスピード感のある決断力だ。では、どうやって彼らは「グローバル社会で求められる決断力」を身に付けることができたのか。日々世界を目指し、格闘する彼らの姿を見つめながら、そのヒントを探る。
とても魅力的だった
同志社と京都という場所
――30代にして執行役員経営企画室長という重責を担っていらっしゃいます。そんなご自身のキャリアの起点となったのが同志社大学です。志望された理由とは何ですか。
小林 高校時代の部活の恩師がたまたま同志社大学出身だったんです。私の出身地である群馬県はもともと同志社とゆかりのある地。同志社の創立者である新島襄が安中藩出身だったことから、興味を覚えました。実際に大学に行ってみると、京都という場所も非常に魅力的だった。そこで同志社大学を志望したのです。
――大学在学中には、どのような学びや活動をされていましたか。
小林 商学部に入りましたが、普通の学生でしたね。アコースティックギターサークルに入ったり、バンド活動もしたりしていました。また、喫茶店のアルバイトも大学、大学院と続けて6~7年やりました。とても雰囲気のある喫茶店でしたが、それが今に続く飲食業との初めてのつながりとなりました。
――思い出に残ること、人との出会いなど印象に残っているエピソードはありますか。
小林 京都はちょっと歩けば、有名なお寺がたくさんありますし、同志社大学今出川キャンパスの隣は(京都)御所です。日本の文化の中心地で、学生生活を送れたことは良かったと思います。ただ、群馬県出身ということもあり、当初は関西弁に戸惑いましたね。そのうち馴染むことはできましたが(笑)。
大学時代の派遣留学で気付いた
“グローバルで戦える武器”
――大学卒業後の進路はどのように思い描かれていましたか。また、どのような経緯で公認会計士を志されたのでしょうか。
小林 父親が自営業だったこともあり、何となく幼いころから手に職を付けたいと思っていました。大学3回生のときに、派遣留学で香港中文大学に留学したのですが、香港では欧米からの学生も多く受け入れていて、彼らからたくさん刺激を受けました。欧米の学生は非常に勉強しますし、語学も英語だけでなく中国語も流暢に話します。こういった人たちと今後、社会に出て一緒にやっていくためには、語学以外にも、“グローバル社会で戦える武器”が必要だと思ったのです。そこで留学から帰ってきて大学院に進むときに、公認会計士の勉強を始めることになりました。
――派遣留学されたということは英語の勉強はよくされていたのですか。
小林 英語はもともと興味があったので、ちょこちょこ勉強はしていました。バンド活動の延長で洋楽を聞きながら、話せたらいいなというミーハーな理由です。私は趣味の延長のように英語を勉強していましたね。
――公認会計士試験に合格されたのは大学院時代ですね。
小林 大学院に入ってから本格的に勉強を始め、3年後に合格しました。毎日、朝9時から夜9時まで、人生の中で一番勉強した時期だったと思います。それでも週一回はアルバイトをして、日曜日はオフにしていました。どちらかといえば淡々と勉強していましたね。もし受からなくても、留学経験もあり、英語と会計の知識があったので、どこかには就職できると思っていました。大学院のゼミでも試験仲間は多かったので、刺激になったうえ、情報交換もできたので、孤独感を覚えることはなかったですね。
――合格したときはうれしかったでしょう。
小林 はい。でも、なかなか実感はわきませんでした。合格発表の翌々日から監査法人の面談が始まってしまうので、急遽上京することになりました。当時の4大監査法人を一通り回って、第一志望に入所することできました。
結果の検証から
事業を前進させる仕事へ
――監査法人ではどのような仕事をされましたか。
小林 上場企業の監査を担当しました。決算期は決まっているので、業務は短期間でやらなければいけません。ただ、監査の仕事をしているうちに、財務諸表の数字の正しさを検証することから、もう少し自分で事業を押し進めるような仕事をしたいと思うようになりました。そこで自分のスキルがうまく活かせるような仕事を探す中で、2007年に投資ファンドに転職することになったのです。
――投資ファンドに入社された翌年にはリーマンショックが起こっています。在籍されていた際の、成功や失敗、挫折などの具体的なエピソードがありましたら、お教えください。
小林 リーマンショックのときは青ざめましたね。案件によっては数百億円を借り入れて投資していたところもありましたし、投資先企業の業績も落ち込み、その立て直しのために奔走していました。このとき「全体環境には逆らえない」ということを学びました。一方で、当時苦しかったからこそ、先輩や友人からたくさんのアドバイスをもらえたことが、いろいろ考えるきっかけとなりました。自分のキャリアステージを振り返ると、とても良いタイミングだったと思います。
仕事ではいつも最悪のケースを想定することで、何か起きたら、最速で対応することを心がけていました。また、もし何かあって落ち込んでも、なるべく早く立ち直るようにもしていました。
――その後、どのような経緯で外食産業を手掛けるトリドールに入社されたのでしょうか。
小林 投資の世界は永続的にその事業を見るのではなく、いずれは売却というフェーズを迎えます。5年ほど投資の世界にいて、もっと長期で事業にコミットできる機会はないかと思うようになりました。そんなことを知人にたまたま話していたら、「一度会ってみないか」と誘われ、トリドールの粟田貴也社長と出会うことになったのです。
粟田社長は、とても面白い方で、非常に志が高く、目標に向かってグイグイ人を引っ張っていく方でした。今も意思決定は早く、動きも早いと感じています。粟田社長と一緒に仕事をすることが自分の成長にもつながる。そう思い、2014年にトリドールに経営企画室長として入社することになりました。
仮説と検証で
成功確率を高めていく
――実際に入社されていかがでしたか。また、事業責任者として、どのようなことを心掛けるようになられましたか。
小林 いい意味で、働きやすい会社だと思いました。それまではどちらかといえば、伸び悩んでいた会社のテコ入れをするような仕事がメインでしたから、まずは働いている人たちの心を上向きにするところから仕事を始めていました。一方、トリドールは成長企業であり、皆が非常に前向き。チャレンジすることに対して制約がなく、とにかくやってみてから考えるというタイプが多かった。投資の世界は確率論の世界で、一番起きる可能性が高いところに賭けをするという考え方でしたが、事業会社である飲食業は確率が低くても、まずやってみて、その問題を解決することに競争優位性を見出す考え方をする。そのため、解決力やチャレンジ力が高い。これはとても勉強になりましたね。
弊社はパート・アルバイトを含めると約2万人を擁しますが、本社は約200人と非常にコンパクトな組織です。実際に現場に行ったり、各部門のトップと話したりすることで全体感を把握していきました。経営企画室長としては、そうした会社の全体感をとらえていく中で、戦略や予算を見つつ、従業員には課題を提起することで、気付きを得られるように心がけています。気付きさえあれば、自発的に動いてくれますから。
――仕事における、アイデアの出し方、問題解決の方法とはどのようなものでしょうか。
小林 弊社は「まずはやってみる」という企業文化なので、アイデアや問題解決も現場やお客様からヒントを得て、それを施策にし、トライアルする。その後、検証することで成功確率を高めていくというやり方をとっています。これまでの仕事のように数字やロジックといったことだけでなく、お客様がどう感じているのかを探っていく作業は、とても勉強になりました。考えることも大事ですが、現場やお客様の中に解決方法が眠っている。それをいかに拾い上げるかということが非常に大事だと思っています。
――コミュニケーションをとられる際にはどのような点に気を付けておられますか。
小林 お客様にしろ、従業員にしろ、その人の視点に立って考えるということが重要だと思っています。その人が実際にしゃべっていることよりも、しゃべらない内実に実は解決の糸口があるからです。単に話しているだけではわからない。自分がその人になったと仮定して、どう感じているのか、どう思っているのか、考える。その人の視点に立つことで、相手の内実が見えてくるようになるのです。
――経営企画室長のほかに、トリドールホールディングスの投資子会社であるTDインベストメントの代表も務められています。実際にどのようなことをされているのでしょうか。
小林 主にベンチャー投資です。飲食関係や、トリドールホールディングスとシナジー効果を生むようなベンチャー企業に投資を行っていて、現在は2社に出資しています。投資では、赤字のベンチャー企業がほとんどなので、その会社自体を見ることも大事ですが、それ以上に、その業界で今何が起きているのか。今後注目されるテクノロジーにはどういった傾向があるのか。そういった現象面をとらえることが大事だと考えています。今注目しているのはフード以外では、シェアリングエコノミー、フィンテック関連などです。
常に正しい決断をしようとすると
意思決定のスピードは遅くなる
――大学時代に経験したことで、現在、役に立っていることはありますか。
小林 経営企画室の仕事には、海外関係のものがかなりのボリュームであります。その意味では、英語を勉強しておいてよかったと感じています。また留学の一年間を通じて、現地の方とのコミュニケーションをして、さまざまな異文化を理解できたことも自分のためになったと思います。さらに、昨今グローバルな人材になるための条件として英語とアカウンティングが必須条件として挙げられていますが、学生時代に、たまたまですが、その両方を勉強していたことは大きかったと思います。
――グローバルな視点を持ちビジネスをされるなかで、さまざまな決断を迫られる場面があると思います。正しい決断を行なうための方法がありましたら教えてください。
小林 粟田とともに海外市場を視察したり、事業運営で海外出張も多いのですが、世界に出ると、「日本で正しいと思っていたことが、正しくないこともある」と感じることがあります。つまり、正しいと思った決断が実は間違っていることもあるということです。常に正しい決断をしようとすると、意思決定のスピードも遅くなってしまう。だからこそ、グローバルで戦うためには、まず仮説でもって決断して、その結果を検証する。そして、その検証結果を次の決断に素早く反映させることが大切だと思います。
――今、ご自身が海外との取り組みで感じている課題はありますか。
小林 昨年、粟田は10年後の2025年までのグローバルビジョンとして、店舗数6000店(うち4000店舗を海外で展開)、売上高5000億円、世界の外食企業のトップ10ランキングに入るという目標を掲げました。今は、その目標に向けて、どう数字を積み上げていくかが私の仕事となっています。ただ、一人でできることは限られています。だからこそ、会社が掲げた大きな目標に賛同してくれるような仲間がさらに必要だと思っています。それも日本に限らず、グローバルに仲間を増やしていかなければならない。そう感じています。
――将来の目標を教えてください。
小林 長期的なプランは今持っていません。現在の目標は、粟田とともに、グローバルのトップカテゴリーの高みを見てみたいと思っています。また、これまで世界各地を訪ねてきましたが、まだまだ世界は広いと実感しています。これまで行ったことのない未知の土地にもどんどん足を踏み入れていきたいと思っています。