「悪癖」には生きるための隠れた効用がある セックス、酒、悪態、危険運転・・・
そういう前提をきちんと語った上で、本書では基本的には事実として確認できるレベルの研究を取り上げ、確度が怪しめな研究の場合は上記のように説明をして、きちんとそれがどの程度確実で、どの程度怪しいのかをよりわけながら注意深く論を進めていってくれる。
他に無数の実験が紹介されていくが、中でもおもしろかったのはイグ・ノーベル賞にもなった「悪態」の研究。我々は思いがけない事態(それも悪い方向に)なった時や、怒りをあらわす時に悪態をつくが(英語ならfuck、日本語ならクソッとか)著者らの研究によると「悪態(侮蔑語・卑猥語)をつくことで痛みへの耐性が高くなる」など様々な効果が発生するのだという。
たとえば、氷水に手を浸しながら、被験者は自らが選んだ言葉(悪態でも、普通の言葉でも)を発して「何分耐えられるか」の実験が行われた。その結果、被験者は普通の言葉より侮蔑的な言葉を口にしている方が長い間氷水に手を入れることができ、その際は苦痛の度合いは低くなり、さらには痛みの軽減効果さえもあることがわかった。これは悪態が攻撃感情を高め、闘争/逃走反応を引きおこしストレス性無痛状態になっているのからではないかと著者らは推測している。
上記の論文が発表された後、オンライン辞書に「lalochezia」という、ストレスや痛みをやわらげるために卑猥な四文字語を使うことを意味する単語が登録された。災い転じて福となす──とはちょっと違うかもしれないが、lalochezia現象がわかっていれば出産のような不可避的な痛みや、極度の痛みやストレスに対して悪態をつきたくなるのを世間体を考え我慢してしまうという理不尽な状況も、理屈で乗り越えられるようになるだろう。悪癖も使い方次第である。
退屈は時間のムダではない
他にも、「退屈」を取り扱った章では、知能指数テストで高い結果を残した者ほど単調な課題に対して強く退屈を感じる実験結果を受け『退屈はいまの行動を中止して、もっと有意義なことをやれという合図だとする説を考えると、退屈しやすさと知能の高さが関連する事実はそれを裏づけるものだろう』『やはり退屈は時間のムダではない。それどころか、ためになる時間の使いかたをしていないことに気づかせてくれる、有益な状態なのだ』と結論づけてみせる。退屈の問題は「ためになる時間でない」と気づいても避けられない点にもあるわけだし、何より極端に屁理屈臭いが、いわれてみればたしかにそうだとうなずかざるをえない説である。
本書では最終的に死さえも肯定しようと、臨死体験をめぐる実験にまでたどりついてみせる。『臨死体験者は、非体験者にくらべて死をあまり恐れなくなり、死後の世界があると信じる人が多い。人生の意味を追求することに熱心で、愛情を表現したり、他者を受け入れることをいとわない』……というように、死さえも肯定できるのだとしたら、生きるのはもっと楽になるだろう。まあ、そのために臨死体験を経験してみたいかと言われれば答えはノーだが……。
本書は、ストレス、酒、怠惰、悪態、運転中のスピードの出しすぎなどなど、人生で生きていく上で「わかっちゃいるけどやめられない(避けられない)」各種悪癖に対して、「必ずしも悪いものではないのだよ」と、ダメな自分を部分肯定し、受け入れられるように救いの手を差し伸べてくれる。全編通して冗談めかしてはいるものの、実は優しさに満ち溢れた一冊なのだ。酒を飲みすぎたら潰れるように、やりすぎはよくないが、悪癖の適量摂取を心がけましょう。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら