本作でもクドカンならではのオマージュなどの小ネタは満載だ。思わずニヤけてしまう細かな笑いのポイントがふんだんに盛り込まれる。彼の決して外せないこだわりなのだろう。
そのなかには、昨今の人気ドラマの風潮への言及もあった。現代日本における市井の人々の生活をミクロの視点で映すドラマの脚本の例として坂元裕二の名前を挙げたほか、人生や運命をテーマに人が生きるか死ぬかを描くシェイクスピア舞台との対比を、登場人物のセリフに盛り込む。
一方、名作『仁義なき戦い』もヤクザ映画の代表として挙がる。広島弁がデフォルトになっているヤクザ映画への固定観念と、そのセリフ回しをいじっているのだが、そこにはクドカン節の愛が込められていた。
第4話から加速度的におもしろくなる
そんな本作は、第4話がひとつのポイントになる。そこから一気に物語が展開し、怒涛のようにおもしろくなる。後半は毎話、涙なしには観られないラストにつながるのだが、同時に細かな笑いの演出が鋭角的に差し込まれ、気づけば笑ってばかりいる。
そして、ラスト2話では、意外な方向に物語が進む。予定調和では終わらせないクドカン脚本のすごみを目の当たりにする。人生は山あり谷あり波瀾万丈だ。この作品で描かれる物語は、市井の人々のリアルな人生にも当てはまることを思わせられる。
最終話はすごい。大げさではなく、登場人物たちのセリフ1つひとつに笑ってしまう。そこには、これまでのさまざまな出来事が背景にあり、それらが呼び起こされて、いまの姿と重なり、滑稽さとカッコよさがないまぜになって感傷を誘う。
昨今のシャレたドラマの会話劇にありがちな、単なる勢いや今風の言葉の掛け合いの笑いではなく、セリフの中身と前後の行動が重なることで自然に生まれる温かな笑いがある。そこにはこの物語が伝えようとする真意が潜む。
最後の最後まで芝居への愛にあふれた物語だった。
本作が描くのは、すべてを失った成功者の生き直しの喜劇だ。
人生の勝者が強制的に振り出しに戻されることで、いつのまにか傲慢になっていた自身の姿に気づき、周囲の人間に気を配り、他人を思いやることができるようになる。家族や仕事における人間関係の大切さやそこにある情を知る。社会に忘れられたことによって、主人公は人として再生する。


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