しかし和睦は成立せず、3月1日には秀吉が出陣します。豊臣軍は約20万もの大軍勢でした。
秀長軍は4月17日、日向国根白坂(宮崎県児湯郡木城町)において反撃してきた島津軍を撃退します。島津方は300余が討たれて敗走。この戦いは島津氏の敗北を決定付け、これにより秀吉方にさらに寝返る者が相次ぎました。
島津氏は降伏を決断
島津義久は降伏を決断し、4月21日、家老の伊集院忠棟・平田増宗を秀長の本陣に遣わします。忠棟は主君・義久が「一命を助けてほしい」と懇願したと言います。
義久は出家して、秀吉の陣所(薩摩川内市の川内泰平寺)に出頭し(5月8日)、恭順の意を示しました。秀吉は島津氏を赦免することになります。
秀吉方の軍勢は豊後国戸次川の戦いで敗れることもありましたが、その軍勢の差や、島津氏に敵対する九州の国衆が秀吉方に付いたので、島津氏の敗北は必至でした。
(主要参考文献一覧)
・小和田哲男『戦争の日本史15 秀吉の天下統一戦争』(吉川弘文館、2006年)
・黒田基樹『羽柴秀長の生涯』(平凡社、2025年)
・柴裕之『秀吉と秀長「豊臣兄弟」の天下一統』(NHK出版、2025年)
・和田裕弘『豊臣秀長「天下人の賢弟」の実像』(中央公論新社、2025年)
・濱田浩一郎『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(内外出版社、2025年)


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