板野さんがパックのまま食卓に出した理由は、本人にしかわからない。本稿は、板野さんの人柄や育ちを論じるものではない。論じたいのは、あの見た目が、なぜ一部の人の目に「育ち」と映ったのか、という点だ。
肉パックは「売り場」に向けた顔である
スーパーの肉パックを思い浮かべてほしい。透明なラップ越しに肉の色や量が見え、値段のシールが貼られ、トレーの上にきれいに並んでいる。これは、店頭で手に取る人に向けた見た目、いわば「売り場の顔」だ。海外の研究では、生鮮肉は買う人が肉の色を主な判断材料にする商品だとされている(※1)。
筆者が以前取り上げた、ナフサ不足によるカルビーのポテトチップスの白黒パッケージも、示唆に富む例だ。日本経済新聞は「販売金額、4週連続減」と報じた。売り場で色という顔を失ったことが、その一因だった可能性がある。売り場の顔の色は、それほど重要なのだ。
筆者は資生堂に33年間勤務し、うち約20年を商品マーケティングの現場で過ごした。消費者は、製品に人の顔のような特徴を見いだすと、その印象で評価を変えることがあるという(※2)。例えば、筆者が企画を担当したデオドラント製品「エージープラス(Ag+)」は、発売時にCMが間に合わず、パッケージだけで店頭に並べることになった商品だった。しかし、銀色のボトルという「顔」がヒットの一因となった。
パッケージには、「誰に向けた顔か」がある。売り場の棚の前に立つ人に向けた顔と、食卓を囲む家族に向けた顔は、別のものだ。エージープラスも、売り場ではキャッチコピーのシールや販促のラベルなどをにぎやかにまとっている。しかし自宅では、それらを外し、シンプルで美しい銀色の機能的なボトルになる。


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