服にたとえるなら、値札は店で選ばれるためのものだ。付けたまま出かければ、どんなに良い服でも「まだ準備が終わっていない」ように見えてしまう。
売り場で選ばれるために作られた顔は、売り場でこそ意味を持つ。
家に「売り場」が入り込んだように見える違和感
食卓は、家族が食事をする場所だ。そこに売り場の顔がそのまま現れると、見る人の目には、家庭の中に売り場が入り込んだように映る。
違和感の正体は、マナー違反というより、見た目の文脈がズレていることではないか。肉が悪いわけでも、パックが悪いわけでもない。置かれた場所と、見た目の役割が合っていないのだ。
そして、このズレを「状況」ではなく「人柄」で説明しようとしたとき、「育ち」という言葉が顔を出す。
食べ物の「見た目」が味の評価を動かすことは、感覚や知覚からおいしさを考える「ガストロフィジクス」の分野で研究されている。
アメリカの研究では、同じ料理でも、整然と盛り付けたほうが、雑に盛り付けたものより好まれた。しかも、整然と盛り付けられた料理は、より高い金額を払ってもよいと考えられ、質の高いレストランで手間をかけられた料理と受け止められた。動物性の食品に限っては、雑な盛り付けだと「汚染されている」と判断されたという(※3)。
ただし、これらはパックと皿を直接比べた実験ではない。また、前述の通り、パックの肉は売り場の顔のままなので、食卓の顔としては「準備の途中」に見えやすいのかもしれない。パックのままが「手間をかけていない」と見られやすいのは、盛り付けの研究と同じ原理の延長で説明できる可能性がある。
ポイントは、変わったのが食べ物そのものではなく、見た目だという点だ。同じ料理でも、盛り方ひとつで、好まれ方や「手間をかけたか」「清潔か」という印象が変わる。


※ログイン後、コメント入力が可能です。