約150年前の明治11年に開設された長野遊郭(鶴賀新地)。そこへ向かう精進落とし通りとして賑わい、遊郭を支える下町として栄えたことから始まったのが西鶴賀エリアだ。
地元民の筆者にとって、元色街ということで馴染みがなかったのだが、昨年末、仕事の忘年会で訪れた際に驚くこととなった。若い女性グループが闊歩し、通り沿いにはガラス張りの小粋なレストランやカウンター居酒屋が並んでいたのだ。なかでも、長屋に店が連なった一角がひときわおしゃれな印象だった。
興味を持って調べてみたところ、西鶴賀エリアは近年、ノスタルジックな街として知られるようになったという。数年前までは空き店舗の目立つ寂れた商店街だったのが、どうして変貌できたのか。再生への道のりと理由を、エリアリノベーションに携わってきた中心人物たちに話を聞いた。
昭和に栄えた商店街が衰退
西鶴賀は、長野市の繁華街・権堂の東に位置する古くからの商店街だ。権堂アーケードの先に続く350mほどの通りがあり、最盛期はスナックなどの飲食店を中心に100軒が軒を連ねた。
しかし、バブルの崩壊に加えて官官接待の禁止で権堂の料亭や小洒落た小料理屋が立ち行かなくなり次々に廃業。客の流れが途絶えた西鶴賀の店も閉店に追い込まれ、次第に空き店舗が目立つように。いつのまにか、西鶴賀は時代に取り残されていった。
そんな状況に、何か手を打てないかと考えた人がいた。まちづくり長野の越原照夫さんだ。同社は、行政の委託を受けさまざまな再生事業を手がける第三セクターの街づくり会社である。
とはいえ、2018年当時は風前の灯火。開いている店のほうが少ないくらいで、もう何年も空き店舗のまま塩漬けになっている建物も少なくない。というのも、地主から借りた土地に店子が店を建て、店子の入れ替わりや代替わりを重ねるうちに家主がわからなくなってしまうのだ。古いものは築100年を超え、辿るのも容易ではない。加えて、西鶴賀は長野市の指定する「中心市街地」の区域外。投資や開発の対象になりにくく、街が最も栄えた昭和40~50年代で時間が止まっていた。


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