もっとも、過去にもこうした古家を活かす取り組みがなかったわけではない。実は十数年前にも、長野市内では古家を再生して若者が次々に出店する動きがあった。宅建資格者や建築士、タウン誌編集者、デザイナーなどさまざまな職種の若手が組んで、善光寺周辺の古家再生を牽引。延べ100軒以上のリノベが行われ、一時は全国区で知られるほど一世を風靡した。
しかしその後、メンバーが離散。建築士不在のまま古家再生が行われたものの、耐震性や火災時の安全への配慮不足が露呈。法的グレーゾーンのリノベをめぐる監視の目が厳しくなるとともに次第に下火に。ブーム終焉となった。
こうした動きを経て動き出したのが、先ほど紹介した越原さんだ。「合法なリノベーションによる再生を」と、建築士会ながの支部副支部長(当時)の建築士、久米えみさんにタッグを要請。街づくり事業に多く関わってきた久米さんは、「合法リノベは、建築士会としても取り組むべき課題」として引き受け、まちづくり長野と建築士会ながの支部が主導する再生事業の活動が決まった。やがて対象地域として選んだのが、西鶴賀。18年、長野市発注の中心市街地有休不動産活用事業の一環として、西鶴賀エリアリノベーション事業が始動することになった。
18年12月。地元の関係者と初の懇親会が開かれた。再生事業を歓迎する声があった一方で、地元の人との間に少なからず距離もあったという。それでも、「人懐こさや昔ながらの人情が残っている印象を受けた」と久米さん。中心市街地と違い、西鶴賀は職住兼用で住んでいる人も多い。下町ならではの人情や人の温かさみたいなものが根付いていたのだろう。
「お宝を探せ!」 資源を見つけて土台に
本格的にプロジェクトが動き出したのは、19年3月。そこで初めてのワークショップが開催された。テーマは、「お宝探し」。そこに住む人だけでなく、外の人の目も借りて街の魅力を発見・発掘し、再認識する意図があったという。
ワークショップには、地元の人や建築士会のメンバーのほか、地元民すら存在を知らなかった「西鶴賀ファンクラブ」を名乗るディープなファンなど、約120名が参加。1日がかりで街をめぐり、街の「お宝」が選出された。
そこで選び出されたのが、昭和にタイムスリップしたような「レトロな景観」、好奇心をくすぐる「路地・小路」、高揚感に包まれる「伝統的な祭り」、遊郭前の精進落としの町として発展してきた「街の歴史」。これらを、守り伝えていく街の宝としてエリアリノベの土台とすることになった。
19年6月。同規模で開催された2回目のワークショップでは、大学教授の講演会も開催。「行政主導でなくボトムアップ型の街づくりを」という話に、一気に再生への機運が高まったという。ところがその後、コミュニティの結束に向け準備を進める最中、コロナ禍に突入。3回目のワークショップは見送りになり、集まること自体ができなくなった。


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