再生のシンボルとなった「9軒長屋」
ようやく動き始めた再生への動き。コロナ禍による活動制限が続く中、何かできることはないかと模索が続き、越原さんと久米さんは事務局で物件を借りることを決めた。出店を考える人に出会い、実現させるためには、実際に活用できる場所が必要と考えたのだ。「1軒、2軒、と単体で借りるより、まとまっていたほうがいい」と、9軒が連なる長屋の地主に交渉することにした。
西鶴賀は、6ブロックに分かれて6人の地主がいる。その上に、所有者の異なるたくさんの建物が連なっているのだが、1つだけ事情が違ったのが「9軒長屋」だった。後々の管理を危惧した地主が、店子が店を閉じるたびに建物を引き受け、年月をかけて丸ごと管理するかたちに変えてきたのだ。
越原さんと久米さんは、いずれ駐車場にと考える地主の元に通って交渉を重ね、20年2月、9軒長屋の10年間の賃貸借契約を締結した。「10年間というのは、私たちにとってもひとつの区切り」と久米さん。それまでに成果を出す、という覚悟の区切りでもあったという。
9軒長屋では小規模のリノベワークショップが開催されるようになった。最初の入居者が決まったのは、それからすぐ。20年3月、ワークショップに参加していた大学生が古着屋をオープンさせることになったのだ。その後も繰り返しリノベワークショップを開催。久米さん自身も知人と共同で9軒長屋のうちの一軒をシェアオフィスとして借りることを決め、ながの建築士会のリノベ相談所としての機能を併せ持つことになった。
その後は、シードル製造販売店やインドカレー店など、新規事業を始める若者が次々入居。長屋での営業を経て次へと羽ばたく人も多く、リノベ相談所は起業を考える若者のよろず相談窓口の役割も担うようになっていった。
実際、事業開始と同時にコロナ禍に入り、人が集まれない状況が続いたことは、エリアリノベーション事業においても多くの課題を生んだ。なかでも顕著だったのが、新規出店者と住民や既存の店との関係構築が進まないこと、地域全体が盛り上がらず、醸成していかないこと。つまり、人とのつながりが薄く、エネルギーが弱いのだ。
そこで始めたのが、全戸に配布するかわら版。事務局メンバーや新規出店者の人となりはもちろん、街に住む人や街の出来事を丁寧に取材し伝えることにした。毎月発行する「西鶴賀便り」は、地元住民と新規入居者の心理的距離を縮め、相互理解の架け橋の役割を果たすようになっていった。
その後、年数回のイベント開催を定例化。内容は色々だが、目的は地域の盛り上げと関係の構築。そしてコロナ禍がようやく落ち着きを見せはじめた22年5月、青年会議所の主催で「ノスタルジックストリート西鶴賀」が開催された。街の景観やノスタルジックな雰囲気を活かし、夕暮れから通りを歩行者天国にした催しは、1日で1000人超の集客となった。この賑わいが後押しとなり、地元住民との関係はさらに濃密に。エリアリノベーションへの関心や、街そのものへの興味も高まっていった。
久米さんは、「この街には他所から来る人を拒まない気風や人情味ある下町気質が下地にあった。交流を重ねるごとに、絆ができていったんだと思う」と振り返る。


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