相佐さんは、親にそう頼んだ。
ただ、面白いと思うことと、点数が取れることは別だった。日本の小学校で学ぶ内容には、十分に身についていない部分があった。初めて受けた大手進学塾の模試は、一番低い科目で偏差値29。全6クラスのうち、一番下のクラスからのスタートだった。
それでも、相佐さんはあまり落ち込まなかった。
アメリカでの生活を通じて、「失敗したって失うものはない」という感覚が育っていた。できないことがあれば、そこからできるようになればいい。偏差値29という数字も、挑戦を諦める理由にはならなかった。
そこから、夢中で勉強した。模試を受けるたびに、偏差値は10刻みで上がっていった。夏を越えるころには最上位クラスへ。冬の模試では偏差値60を超え、第1志望の判定も「B」まで届いた。
そして迎えた2月。合格発表の掲示板に、自分の受験番号はなかった。
目の前が真っ白になった。あれだけ勉強して、成績も上がった。それでも届かなかった。相佐さんにとって、初めて味わう大きな挫折だった。ただ、泣いていたのは、その日だけだったという。翌朝には、悔しさが次の目標に変わっていた。
「地元の公立中学校で、誰も追いつけないくらいのトップを取り続けてやる」
中学校では、その決意を実行に移した。
定期テストでは、3年間を通じて学年3位以内を維持。通知表は全教科5の「45点満点」。高校受験では、県内有数の進学校である富山中部高校に合格した。
中学受験に失敗→高校受験では志望校に合格するも…
忘れられないのは、入学式の日のことだ。教室を見渡すと、見覚えのある顔がいた。小6の冬、塾の最上位クラスで一緒に勉強していた生徒たちだった。中学受験に合格し、別の学校へ進んだ彼らが、高校受験を経て、同じ場所に集まっていた。
「お前もここに来たのか!」
そう声をかけ合い、握手を交わした。
あのときは、自分だけが取り残されたように感じた。それでも、進んだ先で勉強を続けていたら、もう一度同じ教室にたどり着いた。相佐さんにとって、その握手は今も忘れられない記憶になっている。


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