それは、当時大人気だった歌番組「ザ・ベストテン」の出来事。『季節の中で』は7週連続第1位という偉業を達成するも、ライブコンサートに重きを置く彼は出演拒否。番組側の熱心な交渉の末、やっと出演したはいいが、歌唱前のトークを3分間までとする約束を無視して、喋り続けてしまう。
当時の番組プロデューサー・山田修爾氏は著書でこう書いている。
「松山さんのトークは4分経過、5分経過、6分経過……その各々の状況の対処の仕方が変わってくる。松山さんはなんと8分のトークのあと、『季節の中で』を歌い始めた」(「ザ・ベストテン」新潮文庫)
現場の緊張感が伝わってくるような文章である。まだかまだかと時計を見て、8分経過した後やっと歌い出した松山に、スタッフの数人は安堵して膝から崩れ落ちたのではなかろうか。
しかし生放送は残酷だ。時間は押し、他番組から駆け付けた山口百恵は歌うことができず、エンディングで登場するのみに。それを伝えたスタッフに対し、百恵は文句を言わず「わかりました」と応じたという。山口百恵のエピソードはひたすらかっこいい。
そして、番組を観ている視聴者の多くに、ここで松山千春は「歌はうまいが話の長い人」という印象がついたのではなかろうか。
J-POP時代に人気を呼んだ『大空と大地の中で』
『季節の中で』の次のロングヒットとなったのが、81年の『長い夜』。彼も3年ぶりに「ザ・ベストテン」にライブ映像で出演した。当時「ザ・ベストテン」では寺尾聰の『ルビーの指環』が12週連続1位を続けていたが、その記録を止めて1位を獲得したのだった。
79年には、初のベストアルバム『起承転結』が累計約117万枚の売り上げを記録。これは、日本国内のレコード・アルバムとしては井上陽水の『氷の世界』に続く、史上2作目のミリオンセラーだ。
シングルでは、81年の『長い夜』がまたもやロングヒット。当時「ザ・ベストテン」では寺尾聰の『ルビーの指環』が12週連続1位を続けていたが、その記録を止めて1位を獲得したのだった。この曲で彼は3年ぶりに「ザ・ベストテン」にライブ映像で出演した。


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