この出場を通じ、STVラジオの竹田健二ディレクターに見出され、77年のデビューにつながったのだが、当時は日本の音楽シーンの変革期。フォークソングが内省的なスタイルから、都会的な「ニューミュージック」へと洗練されていく過渡期にあった。その流れに乗らず、むしろ原点回帰するかのような彼のフォークは異質だったようだ。
もしかすると、この頑固なほどの「乗らなさ」こそ、松山千春が時代を超えて愛される理由につながるのではないだろうか。令和の今もなお、50代以上の多くが彼の歌をふと口ずさみ、頻繁にカラオケで歌う。ただ、不思議と昭和の歌謡界や名曲を振り返るとき、吉田拓郎や井上陽水、中島みゆきなどに比べると、松山千春が取り上げられることは少ない。
今も昔も「時代や音楽シーンを変えるような斬新さ」とは違うところに、彼の歌はあるのかもしれない。松山千春はニューミュージックとカテゴライズされることが多いが、情と男女の性と風景を歌うそれは「演歌」に近いのかもしれない。
伝説の「山口百恵が歌えなくなった」8分間の掟破りトーク
彼の名が世の中に一気に広まったのは、5thシングル『季節の中で』(78年)である。
この曲は三浦友和&山口百恵が出演する「グリコアーモンドチョコレート」のCMソングとなり大ヒット。初のオリコン1位を獲得したが、それ以上に松山千春の強烈なトーク力を知らしめるきっかけにもなった。


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