結局のところ『バイオハザード』シリーズは、ゲーム体験をおもしろくするためにストーリーや設定はなんでもアリで、時代にあわせた新しい遊びを用意するから支持されているのである。ある意味で、かなりビデオゲームらしいシリーズだ。
この姿勢を映像化するのはかなり難しい。ゲーム版とキャラクターが同一ならばまだやりようはあるが、実写になると失敗しやすい。実際、悲惨な結果に陥った映像化作品はいくつもある。
『バイオハザード』シリーズはビデオゲームとしてのおもしろさを追求し、結果としてそれを優先した結果無茶苦茶なシチュエーションを生み出し、なんならそれをおもしろいものとして、ジョークとして見せつけるのだ。この「オモロ」とでも呼ぶべき精神が、『バイオハザード』らしさのひとつである。
アイロニーとしての『バイオハザード』
今回の映画『バイオハザード』は、そのオモロをものすごくリスペクトしたか、あるいは皮肉として描いた作品だ。
『バイオハザード』シリーズでは「カギがかかっていてドアを開けられない」シチュエーションが多発する。ふつうに考えれば持っている銃で撃って開ければいいのに、カギを探すゲームなのでそれはできないようになっている。
映画ではこの状況をジョークと捉え、主人公が「銃でカギを破壊しようとするが失敗する」というジョークを何度も繰り返す。ゲームを遊んだことのある人なら思わず笑ってしまうし、そうでなくとも奇妙なジョークとして成立している。
あるいはどう見てもゾンビになっている人間を車の助手席に乗せたり、そのゾンビと車の周囲をおいかけっこしたりする。おまけにおいかけっこしつつ、車のドアをうまく閉めるシュールなジョークすら繰り出してくるほどだ。
そして、「主人公は配達員なので銃をうまく扱えない」というジョークも何度も繰り返しつつ、一方で小さなネズミの大群をすべて撃ち殺すことに成功させたりと、とにかくその場その場をおもしろくするためにふざけきっているのだ。


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