計画が具体化すると、住民との協議も本格化した。73年1月には、防災再開発協議会が発足。東京都と墨田区、住民が話し合いながら、再開発を進める体制がつくられた。
調査の対象となったのは、土地・建物の所有者だけではなかった。店舗や工場を営む人、借家や間借りで暮らす人なども含まれていた。
住民との協議や調整には長い時間を要した。東京都の資料映像を見ると、協議会の関係者は、仕事を終えた夜7時ごろから集まり、夜10時、11時まで、週に4〜5回話し合うことがあったと振り返っている。
地元の要望を聞きながら進める
こうした協議を続けるなか、75年に工場跡地でようやく建設工事が始まった。その映像には、大口径の基礎杭を打ち込み、太い鉄骨と質の高いコンクリートを使って、高さ40mの構造躯体がつくられていく様子が残されている。
そして78年3月、最初の4棟542戸が完成。この4棟は、再開発を進めるための住民の移転先にもなった。
「『こんな立派なのができました』って見学会もやっててね。立ち退いてくださいっていうんで、まず新しく建てられた最初の4棟に入って、協議会の会合もそこでやってましたよ」
そう話すのは、白鬚東地区自治会連合会の佐久間輝雄さんだ。再開発で立ち退き、住まいを移した一人である。佐久間さんら住民はいったん新しい住宅へ移り、その跡地を更地にして次の住棟を建てる流れだったという。
当時の建築雑誌に掲載された住戸の間取りを見ると、3DKや2DKなどのタイプがあり、和室を中心に構成され、床の間のある住戸も確認できた。
当時協議会に参加していたのは、佐久間さんの親世代だった。
「協議会に参加していたのは親父。だから僕は2世です。議事録も残っていますけど、いちばん難しかったのは、入居の条件なんかを調整することだったと思います。それも先輩たちが調整委員会みたいなものをつくって、もちろん都の人も入ってやっていました。間取りのことなんかも含めて、地元の要望は聞いてもらったんですよ」(佐久間さん)


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