これでは謝罪が、自分から差し出したものではなく、求められてから出てきたものに見えてしまう。謝罪の研究では、同じ謝罪でも、そこにどんな感情が伴って伝わるかで許されやすさが変わることが示されている。罪悪感や恥から出た謝罪だと伝われば、許されやすくなる(※3)。
筆者の見立てでは、自分から先に差し出す謝罪には罪悪感が見えやすく、言われてから出てくる謝罪には、それが見えにくい。
もう1つ、梁氏にとって逆風になったことがある。
農林水産省が簗氏の国会や報道への対応を支えるチームを内々に作っていたことが報じられたことだ。これを報道各社は「簗大臣お支えチーム」と表現した。簗氏は13日の閣議後会見でその存在を認め、「関係者に非常に負担をかけている」と陳謝している。
世間に反省していると受け止めてもらうには、目に見える形でその姿勢を示さなければ伝わらない。ところが今回、目に見える形で報じられたのは、反省している姿よりも、保身のための体制だった。謝罪の言葉がどれほど丁寧でも、見えるものが「保身」であれば、その言葉は人々の心に届きにくい。
「最後の謝罪」で見られた、“棒読み会見”との違い
そして最後の「謝罪」だ。冒頭に書いた通り、14日夕方、簗氏は首相官邸で高市首相と面会し、辞表を提出した。その後、記者団の取材に応じ、辞任の理由を語っている。
「国会審議で迷惑をこれ以上かけるわけにもいかないし、農林水産行政でも集中できない状況がこれ以上続くということは避けなければいけない」
簗氏は「自ら決断をした」とも述べた。一方、放送各社は、「事実上の更迭とみられる」と報じた。本人の言葉と世間の受け止めには開きがあった。
しかし今回の謝罪では、「棒読み会見」と揶揄された5日の囲み取材との違いがまず目についた。手元に紙はなかった。会見中、ほとんどの時間は、カメラに顔を向けて話していたのだ。


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