記者から、なぜこのタイミングになったのかと問われると、簗氏は「いま総理に辞表を提出したところだ」と答え、頭を下げた。地元への今後の対応を問われた場面では、関係者に迷惑をかけたとして、カメラに目を向けておわびの言葉を述べた。
5日と比べると、顔が「紙」に向く問題は消えた。やや虚な、フラフラした様子で視線が下を向く時間も長かったが、前述した通り、目を伏せること自体が不誠実のサインになるわけではない。伏せた先に原稿がなければ、申し訳なさとも読める。
ただし、これは辞表を出したあとの場面である。5日以降の謝罪が、どう見えていたかを変えるものではない。筆者の見立てでは、謝罪の向き先が地元の人々に向いて見えたのは、最後の最後だけだった。
伝わる「謝罪」の様式
簗氏の謝罪の意図がどこにあったのか、外から断定することはできない。ここで言えるのは、「どう見えたか」だけだ。そして見えたのは、謝罪の際の視線は紙へ向けられ、指摘されてから謝るというタイミングの悪さ、浮き彫りになった保身という悪手だった。
様式が、謝るべき相手とは別の方向を向いて見えたのである。
これは政治家だけの話ではない。職場で謝る場面にも、そのまま当てはまる。
• 謝罪の言葉は、紙を見ずに相手の顔を見て言う。経緯の説明はメモを見てもいい。だが「申し訳ありませんでした」の一言だけは、自分の言葉で、相手に向けて言う。
• 指摘される前に、自分から先に触れる。会議の冒頭、メールの1行目。謝罪は、言われる前に差し出すからこそ意味が生まれる。
• 反省を、目に見える形にする。再発防止の手順を変える、担当を見直す。言葉だけの反省は、時間とともに「なかったこと」にされやすい。
謝罪を重ねても、批判は収まらないまま(もちろんそれだけが原因ではないが)、簗氏は辞表を提出することとなった。謝罪で問われるのは、何を言うかよりも、それが誰に向いて見えるかである。
【参考・引用文献】
※1:ten Brinke, L. & G. S. Adams (2015) Saving face? When emotion displays during public apologies mitigate damage to organizational performance, Organizational Behavior and Human Decision Processes, 130, 1-12.
※2:Yamamoto, K., M. Kimura & M. Osaka (2021) Sorry, Not Sorry: Effects of Different Types of Apologies and Self-Monitoring on Non-verbal Behaviors, Frontiers in Psychology, 12, 689615.
※3:Hareli, S. & Z. Eisikovits (2006) The role of communicating social emotions accompanying apologies in forgiveness, Motivation and Emotion, 30(3), 189-197.


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